再生への旅

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zoom RSS 田舎の小さいお寺のお坊さんの目に映る「桜」

<<   作成日時 : 2017/04/07 07:10   >>

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昼酒に死すとも可なり亀の鳴く 玉宗

北陸では先日金沢が桜の開花宣言をした。能登はまだである。もう一週間もしたら開花するであろう。そんな感じ。今日などは雨。家の中にいる方が肌寒い。まだ暖房は必要だね。当然のことながらこの時期になると「桜」の話題や映像が毎日のように流される。もうすでに食傷気味でさえある。日本人はどこまで「桜」が好きなんだか。「桜漬け」といってもよい。

古から、「桜」の儚さ、潔さが「大和魂」とか「武士道」に通うものがあったとは通説であるが、ところで農耕民族でもある日本では、お百姓さんにとって「桜」とはどのような按排のものだったのかと少し気になった。能登ではじゃが芋の植え付けはお彼岸過ぎから本格的なる。「桜」の時期に代掻きをする農家もあるように見受けられ、花屑を田に鋤き込むといった情景の俳句が記憶にあったりもする。

植え付け、田起しと本格的な春耕の時期ではあるが、収穫物的には端境期となるのではないか。そのような時期の「桜」とは農家の人たちにとって「ひとときの息抜き、憩いのとき」かもしれない。花見で鋭気を養い、これからの農作業に備えるとでもいうか。そのような意味での農耕の目安としての「桜」。

因みに最近ではお米も早稲ものが大半のようで、田植え時期も五月の連休に合わせてすることが多いようだ。いずれにしても個人の専業農家はまれで、今では休耕田をグループ経営の担い手に任せているという話をよく耳にする。高齢化した農家の苦肉の策とでもいうのか。荒れたままにしておくより、他人に耕作を任せて、いわば「小規模地主」のような無償契約で「田んぼ」を守っているのである。お米離れが進んでいる日本。みなさんいろいろ智慧を出し合って生き残りを計っているようだ。

さて、お寺の世界はどうだろうかと思うのである。
宗教離れが喧伝されて久しいが、既成宗教はどのような生き残り政策を講じてきたのか。現代農業の在り方にそれを学ぶところがあるのではないのかと思ったりもする。教団とは謂わば「組合」のようなものであろう。「農協」今では「JA」というのかな。お寺の「檀家」とは組合の「会員」のようなものではないか。自主採算性、不特定多数が出入りするとはいえ、基本的に「構成員」のために「利益」を循環させる仕組みとなっているのではないか。

お寺が循環させるべき「ご利益」とは「仏法という信用」であろう。それは本来、檀家の数に左右されない領域のものである。基本財産の多寡に関わらない筋合いのものである。そうではあるが、それはお寺という「伽藍・ハード」を維持する実際の経営が欠かせない。仏法僧という三宝の鼎を鼎たらしめるバランス感覚とでもいうべきか。住職にもそのような経営感覚が求められている。

お寺の存続。それは檀家の望むところであるに越したことはないが、それにしても少ない檀家数での維持管理に無い知恵を絞っているのが現実。正直なところお金の苦労がつきまとう。住職や寺族の生活まで面倒見れないという檀家の言い分は当然のこと。妻帯し家族を持って一般人と同様な生き方を選んだお坊さんも当然のように自らの生活のために副業を余儀なくされる地方の小規模寺院。

お寺の世界においても格差があることは認知されながらも内部からも外部からも改革の声が挙がらない。大規模寺院にもそれなりの苦楽があろう。本来、お坊さんは苦楽を言い訳にしてはならない生き方を目指している人間でもある。余り、ものほしそうなことを言ってはならないし、言いたくもない。自主採算性とは甘い汁ばかりではない。人知れず苦い汁も飲まなければならない。お寺もまた世間と同様の苦労を選択したということを如実に感じる。そんなお坊さんの目に映る「桜」もまた世間並みのあだ花の賑わいであり、虚しさなのであろうかと思わないではない。それもまた自業自得にして可ならんか。


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「宿題二十句」

初蛙小僧が知恵を借りに来る

少しづつ頭よくなるチューリップ

捗らぬ宿題古巣よく見えて

生贄に子を盗られてや揚雲雀

足し算は仄かに楽し桃の花

引き算はだんだん淋し春の川

掛け算はなんだか手抜き燕来る

割り算はだうにもならぬ鳥雲に

先生はときどき他人花曇

正解を鵜呑みに出来ず蛇穴を

大陸の夢を遥かに朝寝坊

割り切れぬ数が出て来る種袋

馬鈴薯の芽を掻く腹に据えかねて

菜の花や目を見開けば謎ばかり

ひつぱたくやうに飛び立つ雉子かな

亀も鳴く頭のわるき日なりけり

明日ひらく花かもしれず風も擽る

逝く人も遺る人にも花明り

おにぎりや遠くに足を運ばせて

夜や朧遊び疲れて眠る子に



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「ひそかに」

切株のひそかに匂ふ花の雨

花冷えや償ひきれぬ空と海と

空とひらく輪島曳山春祭

風もあかるき秩父遍路や山越えて

能登はまだ花とゝのはぬ灌仏会

沖ひらけ増穂が浦の桜貝

囀りの空に冷えある信濃かな

墓石のうらも墓石放哉忌

うれしくてならぬと雨後のつばくらめ

恩讐の果てに消えたる蜷の道

田螺さへ遠出したがる日なりけり

あかときの夢見心地や春の雷

働かぬ父はとびきり春の闇


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「沖遠く」

春ひとり沖遠くしてやすらけく

鳥雲に入りたる沖の遠かりき

嘗て遊びし磯の礁も古りにける

ひた寄する波にも春の調べあり

霾るや沖もひらけと鳴く鷗

わが植ゑし花喰ふ鷽を叱りけり

なにもかも過ぎてしまへるさくらかな

花曇り愛なき空のつめたさの

春泥を捏ね回しては孕みたる

茎立や光陰止むすべもなし

こころ此処にあらずたらの芽掻くころの

白木蓮や疵なき空の華燭とも

蒲公英はまぶしランドセルはかろし







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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
お坊さんでなくても桜にうんざり来てみれば、宿題の句で割り切れた。


花てぼ
2017/04/12 22:27

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