再生への旅

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zoom RSS 寺山修司という生き方・「私性」へのこだわり

<<   作成日時 : 2017/04/21 20:48   >>

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ふり返る故山や遠ちに霞立ち 玉宗


少し早いが、5月4日は寺山修司の忌日である。以前upした記事を加筆訂正して再掲したい。

死はあたかも一つの季節をひらいたようだった   堀 辰雄

寺山 修司といえば、詩人、劇作家にして演劇実験室「天井桟敷」主宰、歌人、演出家、映画監督、小説家、作詞家、脚本家、随筆家、俳人、評論家、俳優、写真家などとしても活動、膨大な量の文芸作品を発表し「言葉の錬金術師」の異名があった。上記の他に競馬への造詣も深く、競走馬の馬主になるほど。メディアの寵児的存在で、新聞や雑誌などの紙面を賑わすさまざまな活動を行なった。本業を問われると「僕の職業は寺山修司です」と返すのが常だったという。


かくれんぼの鬼とかれざるまま老いて誰をさがしにくる村祭  「田園に死す」


寺山作品の中には頻りと「わが〜」という言葉が出てくる。自己に拘ることは文学者として全うなことではある。寺山の「私」とはどのようなものであったか。父や母、そして故郷。ネフローゼという病。様々な人生模様や文学試行の中で形作られていく寺山修司という混沌。例えば、次のような指摘。寺山の代表的な論文の一つに「『私』とは誰か?」があり、その中に一節。

「一般に、落書、落首というものは、その『無私性』に特色を持っていると考えるのが常識になっている。そして、多くの評論が原理的にそうであるように、落書もまた、その無私性によって高い批評精神を評価されてきたのである。」

「作品に、自らの名を著さねばならぬほどの自分個人の内的責任を負った文学作品が今日の文学を形成しているだろうか?」

「作品はあくまで、作者の私有物と考える限り『私』性の文学としての短歌は、落書などよりさらにパブリシティ(公共性)を持ち得ない」

「定型はあらゆる直接的な感動を定型のなかへ読みやすくうたいこむという操作でもって禁欲的にしてしまうのである。したがって定型ほどの匿名的な様式は文学の中では見出しがたいだろう」

「匿名性は言を換えれば万人のなかで自発性となりうる可能性(仮にぼくはこれを短歌の「かるみ」としておこう)」


同じ青森出身の太宰治、そして太宰が慕っていた芥川龍之介の文学スタンスに通うものがあるのではなかろうか。彼らの創作世界は共に「匿名性」でもってしか為し得なかった自己肯定の世界でもあることで共通していないだろうか。実人生を告白することへの恥じらいと、それと相反する厚顔さが彼らの文学者魂を逞しくしているとも見える。自己を超越し、変革するための「匿名」であり、「無私性」というアリバイ、或いは不在証明に拘ることによってそのような特異な文学的良心を担保していたのであろう。

「『田園に死す』以来、私は歌を書かなくなってしまった。私にとって、質問としての短歌さえも自己肯定の中から生まれたものであるということをしったからである。そして、自分の内的生活を志向できる強い精神力を保とうと思いながら、結局は私を規定し続け、裏返しの自己肯定の傲慢さを脱けることができない自分の作家活動に、別れを告げたのだった」

モノローグからダイアローグへの表白である。私性に拘る道程が新たな地平に寺山を導いた。往きて還るこころ。それは彼の俳句や短歌にも通じる心であっただろうし、何にもまして定型を超越しようとする彼の自己肯定の自然な行く末でもあっただろう。新しい風切羽根が必要だったのである。彼は新天地を飛ぶことができたのだろうか?あらたな故郷を見つけだすことができただろうか?何かを捨てることができただろうか?自己を創作することができただろうか?

「詩の中にさまざまに拡散されてゆく私の要素を、内的に統一する形而上学なしには、私自身の思想は成り立ち得ない。私文学の出発は、そうした大いなる「私」の全体像と、現実にいま存在している私の肉体との相克であって、短歌もまた、そのための一つの証言にすぎないのである。たぶん、それらすべてが創作を通じて見事に達成されたとしても、質問はやっぱり、無限にくり返されて私をさいなみつづけるであろう。」

「私とはだれか?」

寺山、太宰、芥川、啄木、共に若くしてその生を全うし、人生を疾走したかの如き可能性の浪費。天才らの流星の如き輝き。その光跡は、不可能性に妥協し、馬齢を重ねて永らえて生きる大人の目には如何にも美しく、眩しく、危うい。「私性」へのこだわりを失くした、物分かりの良い「大人」たち。若さとは限りない自己変革の可能性に生きる力のことである。彼らはそのようにしか世界と契る事を知らないし、「私」が拡散化された思想と心中する覚悟こそは若さ特有の生々しさというものであろう。私にはそのような匂いが寺山にも感じられる。
 
そのような「無私性」とは畢竟、文学の可能性でもあり、寺山という「私・個」の生きる可能性でもあっただろう。定型の彼岸に留まることをしなかった寺山。「私とはだれか?」という「個」への已むことのない自問自答と回帰。彼の文学はまるで「鬼ごっこ」の「鬼」の語り口である。「見つけてほしい、けど見つけられたくない」「隠れていたけれど通じ合える愛や言葉が欲しい」それは「イタコ」の口吻にもどこか似ている。「私であって、私でない」そのような公共性が、免れがたく彼の内面を通過していたに違いない。

定型はそのような公共性を掬う一つの手立てでもあっただろうが全てではなかった。これこそが彼の個性であり、彼はそれを誤魔化すことをしなかった。

何故か?

「どんな鳥だって 想像力より高く飛ぶことはできないだろう」とは寺山の言葉である。彼は自由に空を飛びたいだけだったのである。彼の生涯は飛翔するための已むに已まれぬ自己変革であった。私にはそんな風に見えてくる。
 


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「朝」

花屑の舞ひ込む朝の枕上

かんばせに朝のひかりや寝過ごしぬ

雉鳴くや自暴自棄にも朝が来て

後朝の腑抜けに通ふ代田寒

鶯や藪から棒にさり気なく

揚羽蝶袖ふるやうに来たりけり

墨染の袖の捌きも逝く春の

菫ほどな秘密携へ嫁に来る

裏山に登りひとりの春惜しむ

昼蛙草も鼓となるころぞ

表より裏は気楽で桃の花

まう喰へぬほどに盛りたる八重桜

地の果てに星落つるべく水芭蕉

亀の声解りすぎても困るなり

つばくらの空また仰ぐ旅路かな

巣立鳥風の梢にうづくまり

揚雲雀空に深入りして戻る



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「空」

朝な朝な空甦る弥生かな

佐保姫の裾野を捲り遊ぶなり

おかはりを母の喜ぶ花のころ

襟首の汚れやすさよ鳥雲に

而して春闌の淋しさよ

もぐらさへ鶉となりて出たがりぬ

蕨狩り戻れば家がつんとして

蹲に砥石浸けある穀雨かな

落椿まなこ汚れてゐたるかと

はくれんや空見るたびに傷ついて

後悔に遅れぶらんこ漕ぎ出しぬ

逝く春に手を拱いてゐたりけり

堰を切る水の音にも行く春の

グランドの空はキャンバス燕来る




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「落書二十句」

つばめつばめ空に落書きして已まず

恥かしき年頃風も光るなり

縄文の裔のおゐどや水温む

つばくらやわが棲む里に橋あまた

虫けらも花屑も田に鋤き込んで

水口のことににぎはふ蝌蚪の国

チューリップ花の終りは首垂れて

いふなれば途中のお玉杓子かな

塗り終へし畦の中より声がして

つばくらや空に恋せし伝道師

蹴飛ばしてみよとばかりに竹の子が

懐に抱いたる鶏を合せけり

一日が始まり終り四月尽

虎杖を噛むや酸っぱいふるさとの

木蓮の花の畢りは焼け焦げて

みちのくを思へばかなし春の泥

踊子草待ちくたびれて花となり

明日は帰ると決めたる鴨の声高き

蛙鳴く奈落の眠りより覚めて

つばくらや聖書を抱へ歩くとき







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