再生への旅

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zoom RSS 自他一如の世界

<<   作成日時 : 2017/05/01 05:47   >>

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嘆くかに藤垂れ空の只蒼し 玉宗

子供に分別がつくことを大人は期待するのであるが、この分別がなかなかに手ごわい、曲者であることを世の大人たちは子供に伝えようとはしない。無分別という分別を越えたところから生起し消滅しているわれらが命である、生老病死、そのときそのときの無分別なる事実の真っただ中の様子があるばかりなのであるが、迷うということはそのような今の事実に煩悩という思いを引きづったり、引き寄せたりする癖がいつのまにか、抜け難きまでに身にも心にも付着してしまっている。それを娑婆といい、輪廻の世界と言うのではないかな。

仏道はそれでいいのかと問うているのであろう。自他という問題も、そのような煩悩の延長線、地平線上での我他彼此であろう。他者に惑わされる自己がいるのである。どこにいても、いつまでもそのような自己に決着できないのであれば、他者の問題を背負い続けることになる。他を脱落するとは自己を脱落する以外に根本的な方途はないと祖師は諭すのである。

他己を変えようと思うこと自体が妄想である。すべては自己限りの世界の様子なのであれば、自己を変革することによってしか他己を受け入れ、一体となり、無分別になる方法はないのだと。社会的問題も仏道はそのようにして解決のアプローチを計る。自他一如であればこその寄り添い方、突き放し方があろうというものだ。

争いや恨みは争いや恨みを以て已むことはない。自己の内にある争う心や恨む心をこそ無きものとし、他己に飛び込み、自己を投げ入れ、他己と一体となる。自己とは徹底そのような自他一如なるところに帰家隠座する以外にないのではないかな。和を以て尊しとなす自他一如の世界。それが仏道の存在意義、社会的使命ではなかろうかと思う次第。


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「家二十句」

山吹や生家いよいよ仄暗き

父よりも老いてしまへり亀鳴きぬ

霧島躑躅長子が家に燃え盛り

囀りや家に希望がありし日の

出稼ぎの父が戻れる暮春かな

ぶらんこや家を捨てるに忍びなく

ふるさとの駅にさ迷ふ春の夢

靴底の踵の減りも行く春の

野遊るや戻れば家のひんやりと

臍の緒の行方も知れずあたたかし

朧夜や家に阿修羅の日々ありし

順番に覗く棺桶花は葉に

伊勢参りも叶はぬ母となりにけり

子に尾鰭持たせ幟を揚げ始む

家を出て家を焦がるゝ薊かな

離散せし家はとびきり春の闇

しゃぼん玉家に諍ひありし日の

家郷出て桜蘂ふる町に生き

鳥雲にむかし家族のありにけり

出家といふ不思議な月日みな朧




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「骨」

この村に骨埋めてや田螺鳴く

鏡なす代田に鷺の脚浸かる

去り難き故山の朝や雉の声

雲流れさざ波走る春干潟

永き日や持て余したり弄したり

雀の子遊び足らざる顔をして

蕗の葉の重なり合うて照り陰り

鳥雲にダム湖に眠る村いくつ

つばくらの立志の胸や眩しかり

村一つ影に入れたり春の雲

文弱に骨あり永井荷風の忌

若葉して光りさざ波立ちにけり




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「過失」

蛙子が父よ父よと浮かび来る

蝮草まだ智慧もたぬさみどりの

山躑躅日蔭りやすき山肌の

蛇出でて日射しいよいよ腥き

看経の首差しだすや心字池

如何ともし難き日暮れ葱坊主

クローバー妻に恋せし過失あり

仰ぎ見る藤の深空を眩しめり

雛罌粟や風を手玉にゆらめきぬ

こでまりやご飯をこぼすやうに咲き

地の果てを巡る星の座水芭蕉

花は葉にこころざわめく日なりけり







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