再生への旅

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zoom RSS 雲の心、水のこころ

<<   作成日時 : 2017/05/31 08:47   >>

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雲の心水のこころや更衣 玉宗


「ウンと喰ってスイと眠る。それが雲水じゃ」と、真顔で垂誡されたお師家さまがおられた。言い得て妙。思い当たる節がないでもない。

「新到さん」などと呼ばれていた新米雲水のころ。
それまでの気儘な生活習慣と打って変わって集団生活、プライバシイーなどはないに等しい。起床は異常に早く只管眠いし、作務という只働きで無性に腹は減るし、経文・偈呪の暗記で頭の中は混乱するし、身に着けなければならない進退作法はあるし・・・・・で、パニック寸前。本能的に食欲でバランスを取っていたのだろうと思われる。とはいっても食べるものは世にいう精進料理であるが、淡白、滋味などお構いなし。これがまた美味しかった。

しかし、僧堂では再進、再再進といって、おかわりも三度までが限度であった。新到の分際で僧堂行鉢で粥を再再進したら後で古参和尚に呼び出しを受け、指導的教育を頂戴したことがある。私は瑞応寺僧堂で五目御飯を七杯平らげたことがあったが、それも正式な飯台ではなく、確か、お寺の行事で檀信徒さんたちへのお斎として用意されていたものだったような気がする。云わば残りものである。「勿体ないからお前何とかしなさい。」と言われ、これ幸いに新到の義務を果たしたのである。賤しい限り。

小僧さんに饅頭ではないが、僧堂では何故か甘いものが無性にほしくなる。年配の雲水さんも若者が好むような甘いものを一緒に嬉々となって頬張っている。 僧堂では脚気にかかるものが多い。ときには入院する者もいる。精進料理も結構だが、食べすぎたり、お粥やご飯など炭水化物の多量摂取が原因ではなかろうか。脚気も偏食からくるものであり、一種の栄養失調である、と聞いた記憶がある。僧堂に来る以前の食習慣との変化も見逃せないであろう。

最近の僧堂ではビタミン剤を常備させたり、サラダなどを添えて栄養バランスを考慮するようになったとも聞いている。睡眠、食事、運動、メンタルケア、年に一度の健康診断など、大事なお寺の後継者をお預かりする側もいろいろ大変である。 私は幸い脚気の症状は出なかった。が、今になってメタボの遠い要因になっているのではないかと自嘲気味である。若いころは体もよく動かしよく食べた。燃費がよかったのだろう。最近は動くと云うより、蠢くような日常になり食欲だけは衰えない。隔世の感がある。

雲水然とスマートであった頃の私を知っている夫人は、ときに私の体型を垣間見て、信じられないという顔でひとこと言い放つのである。

「醜い!」

ウンと喰ってスイと眠っていたあの頃がなつかしい。






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「これよりの」

これよりのほとけ道なり山卯木

麦秋の風に降り立つ駅舎かな

生贄に取られて今も不如帰

行きずりの街に恋せしリラの花

汚れなき空のキャンバス夏燕

へうへうと風の心地や更衣

桐の花嫁を貰ふに山越えて

羽根のごと水面覆ひし若楓

つと立ちて蟻が嘶く真似をせり

青嵐や胸に秘めたるものいくつ



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「窓」

風となり生まれ変らう夏薊

押されゆく茅花流しや傷痛み

虹立ちて包帯少し汚れたる

遠雷を聞きとどめたりうつろにも

風鈴を吊るすさびしき窓際に

肩の荷を下ろせば侘し小判草

風青き土手を歩かば明日が見え

鏡なして日を照り返す柿若葉

父恋えば沖に連なる烏賊釣り火

垂乳根の懐深き蛍かな

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「穢れ」

花ひらく大山蓮華穢れなき

野茨や旅に汚れしものいくつ

血塗られし記憶や薔薇の香に咽ぶ

働いて泥の眠りや蚊吸鳥

霧込めの風に靡ける茅花かな

おはぐろの見る影もなく止まりけり

子蟷螂略奪知らぬさみどりの

暮れてゆく音して実梅落ちにけり

青葉木菟ほとけの森に深入りし

旅に汚れしまなこ濯ぐや青山河

濡れてゐる夜のにほひや洗ひ髪











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