再生への旅

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zoom RSS 花は無心にひらく

<<   作成日時 : 2017/05/16 15:26   >>

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薫風や仏生まれて来る日の 玉宗

今日は興禅寺のお花まつりでした。
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気持ちのよいお天気に恵まれ、まさに「清和」なる気分でした。「象さんをお寺に」ということで花祭り企画を企んだ住職でしたが、目標の三分の一にとどまり、今年は購入出来ませんでした。お寺に「象さん」があっても少子高齢化の町で一体だれが引っ張って歩くのか、とか、どこに保管をして置くのか、などといった心配を耳にするのでした。

が、凡そ新しいことを為そうとするにはためらいや不安が付き纏うものです。その気持ちは十分すぎるほど理解できるのですが、一方でことが成る実際の所は、当人の思いを越えた力があったりなかったりするものです。まあ、平たく言えば、なるようにしかならんし、やりたいようにやるしかない、或いは、やれることしかやれない、どうにかなるもんだといったところがあるのも人生の醍醐味、面白いところ、意外性のところではないでしょうか。

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そういうことで残念ではありますが、来年以降にお楽しみを持ち越して、法要に臨んだ訳です。
いつものように、釈尊降誕会法要、献燭供養法要を勤め、住職のご挨拶、そして弟子から昨年の永福寺晋山式以来の改めてのお礼。


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引き続いて、今年の講師として穴水町健康推進委員の堂田さんのお話。実演をして頂きました。皆さん、楽しいひと時を過ごしたことでした。毎年、花祭りでは講師をお呼びしたりして、試行錯誤しているのが現状です。小さいお寺ながら、一事が万事、何事もやってみなければ学ぶこともないことをいつも痛感させられています。


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住職になるということは檀信徒とともに仏道を歩みことを選んだということです。今更ではありますが、参宝護持のお互いが無心であることに越したことはありませんね。貪らず、無心に生きること。仏法の御利益とはそれに尽きるのではないでしょうか。合掌。





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「母」

衣更へほとけの母にまみへけり

はんざきに呑み込まれたる母かとも

花菖蒲母に風吹くやうにして

光りゆたかに母がふところ汗ばみて

臍の緒のやうな粽を母が結い

床臥の母が窓辺も清和なる

夏花摘むだけの母とはなりにけり

繍線菊やあの世の母に顔向けが

柏餅母が手塩の味がして

母の日の母が長生き詫びるなり

あぢさゐや夢にみる母若かりし



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「さみどりの」

あぢさゐやまだいろもたぬさみどりの

もの足りてなほ落ち着かぬ昼寝覚

苔の花跡を絶ちたるしづけさの

狐の提灯まだ灯点さぬさみどりの

雛罌粟のへろへろ城も傾きぬ

片道の旅の途中や夕焼けて

心太吐き出すやうに押し出しぬ

萩若葉風のそよぎもさみどりの

筍飯そろそろ厭になる頃の

蜘蛛の子やまだいとけなきさみどりの

円座敷く放り投げたるやうにして

焼酎や負け越してゐる人生の



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「路地」

薫風や仏生まれて来る日の

僧となる妹ひとり麦の秋

峠路のまなざし遠き夏薊

山深く空深くして不如帰

金魚売り路地を濡らして消えにけり

てらてらと柿の若葉や照り返し

朝な夕な寺の鐘の音水を打つ

大手毬小手毬風の数へ唄

路地裏に虹を懸けたる如雨露かな

その奥に雀鳴く声杜若

サングラスもはや堅気と思へぬなり

鉄線のむらさき風に漂へる









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