再生への旅

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zoom RSS やすらぎにいたる道

<<   作成日時 : 2017/06/15 04:44   >>

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生きながら死てにし風の涼しさよ 玉宗

六月も半ばである。
先日、夫人と一緒に福井の御誕生寺へ赴き、板橋禅師様にお会いしてきた。今年満90歳になられた。ねこ寺として有名になったが、禅師様にはどこ吹く風。ねこ目当てに訪れる人たちがいる庭に出て寛いでいる禅師様。少し足腰が弱られた様子だが、気力は衰えていない。ときどき尊顔を拝したくなる。今回もそのような欲求を満たすために夫人を誘って車を走らせた。何故か会うたびに、こちらが元気を貰う。昔からそうだった。私を写す鏡のような存在なのだと言ってもいいのだろう。至らない自分、つまらない自分、なんともない自分、本来の自分が禅師様という鏡に映しだされるのである。いつも自分の悩みや行き詰まりが問題ですらないことに気付かされる。だから元気になるのだろう。生きる力を再生させて戴ける。

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仏教は、「捨てる道」を教える。私が苦しむのは、欲が多いため。欲にふりまわされているのだ。「あれがほしい、これがほしい」「ああしたい、こうしたい」「ああなればいい、こうなったらこまる」「もの足りない、もの足りよう」と走り回っているようなものだ。欲を満たしたかと思うと、またさらなる欲が出てくる。いつまでたっても、満たされることはないかのごとき有様。燃え続ける炎のようなものだ。禅師様はものや欲望に依存せず執着しない生き方を示される。それも何気なく。無執着、無重力の境地とでもいうべきもの。安らぎにいたる道を身を以て、心を以て静かに示してくださる。ありがたい。合掌

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「ダスゲマイネ二十句」

永訣の朝を告げたり杜鵑

桜実に夕べの空のつめたさの

レジに並び太宰治の忌と思ふ

傷舐めるやうに焼酎呑み始む

真ん丸は傷つき易しさくらんぼ

古簾いつも斜めに陽が差して

死ぬことのお道化もならず夕焼けて

明日は死ぬことにして日の短さよ

さみだるゝダスゲマイネとダスゲマイネと

入水せし顔空を向く花藻かな

人妻のやうにパセリを付け足しぬ

駆落ちのなほ落ち着かぬ河鹿かな

掃き寄せし塵の中より落し文

病葉は訛りの如く美しき

遺言のやうに吹かるゝ夏柳

水打つやなにもなかったやうにして

夕空へ行きて帰らぬ天道虫

紫陽花に洗ひ晒しの夕べあり

一日が始まり終るほうれん草茹でる

蛍火や濡れたる髪のにほひして


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「風情」

いつもただ旅の途中や花さびた

百合咲いてまぬがれ難き風情あり

引き際を心得ぬ蠅叩くなり

情けない日なり昼顔媚びるさへ

昼寝覚め満足したる淋しさよ

斬られたる首の重さの西瓜とも

暁のか黒き水を盗むなり

水喧嘩の後ろをまかり通りけり

雨乞の助太刀をしてくれぬかと

臭い飯食うた顔して金魚売

草笛を吹く救はれぬ顔をして

ふり返る仕草いつより雲の峰


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「まだ」

梔子のまだ傷つかぬ花のいろ

昼顔の昼のしづけさけな気にも

うぶすなの杜の情けや落し文

若竹や空を狭めて傾きぬ

芭蕉布やアタイの風を着こなして

冷奴嘘のつけない妻とゐて

北潟の風に波打つ花菖蒲

島百合や四方を海に囲まれて

薔薇といふ愛なるものを傍らに

何処へ行く旅まだ続く夕焼かな








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