再生への旅

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zoom RSS 私は何のためにお坊さんをしているのか

<<   作成日時 : 2017/07/31 17:40   >>

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また会へることの幸ひ百日草 玉宗

「お前は何のためにお坊さんをしているのか?」と問われて私は何と答えることが出来るのだろうか。

人間には損得や利便性や勝敗等の二見の価値観では計りきれない「いのちの絶対性」があると思って生きている。お坊さんが社会から期待されているものとは、平たく言えばそのような「生き方の芯を育てる領域」である。そのような領域を尊重し宝として生きるとは、ある意味きわめて個人的なことを正々堂々とやり通す厚かましさと志がなくてはならない。自己完結的生き方を以ってして担える社会の守備範囲。お坊さんが「無用の用」としての価値をいつまで認知され受け入れられてゆくのだろうかと思わないではないが、存在意義が時代と共に変遷、異質化してゆくものだとしても、社会とともにお坊さんがあり、お坊さんとともに社会があるのには違いない。私の見る限り、遠慮がちに言ってもそのような解りやすい現実がある。

「お前は何のためにお坊さんをしているのか?」と問われて、「世のため、人の為です。」と答えられるようにはなりたいものではある。しかし、お坊さんとして余りにもお粗末な自己であることも痛感している私にとって、そのように声高に口外して澄ましていられないのも本心である。「人の為、世の為」と言いながら、その実はお坊さんという渡世の業を重ねているのではないか?羊頭狗肉ということもある。余り見栄を張るものではない。であるならば、少なくとも「人様の為」などとは口幅ったいことではある。かと言って「わが煩悩の為に」と言いきってしまうのにも抵抗がある。腐っても「自己を超える生き方」に拘って生きている私である。お粗末ながらも、そのようような「自己の命」を向いて生きていきたいと思っているには違いないのだ。それが私の社会性、生きる態度であるとしか言えない。

そのような方向性をもって生きること、それがお坊さんの存在意義であり、私の存在意義ではなかろうかと密かに自認して今日までやってきた。私にとってそれは人生の賭けであると云っても差し支えないものである。
「お前は何のためにお坊さんをしているのか?」それは畢竟、私は何のために生きていくのか、という命題への生き様であるということに尽きる。

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