再生への旅

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zoom RSS お盆近づく

<<   作成日時 : 2017/08/10 08:01   >>

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溝萩や彼の世この世とふりわけて 玉宗

お盆のころになると自然に先祖を偲ぶようになります。いのちの断絶と繋がり。人生のリレー。それはそのまま紛れもない諸行無常の端的な様子なのであるということを、季節の中で如実に実感します。お盆とはまさにそんな時季です。

 ところで、お盆にはもうひとつのイメージが私にはついて回ります。
それは「食べることの有難さ」といったことです。先祖へのお供えものとして、貧しいながらも精一杯のご馳走を用意していた母の姿が脳裏に焼き付いています。

先祖だけではありません。生きている家族や親戚と共にご馳走を食べることの幸せ。それはまるで神仏への捧げものを戴いているかの如き豪華さと賑やかさ。そしてどこか淋しい饗応でもあります。そこにはまぎれもなくこの世に遺されたという現実があります。

 やがて死すべきいのちを、ひととき永らえていることへの目覚め。食べることの嬉しさとやるせなさ。食べることの尊厳さ。生きていることの奇跡。そんなことへ思いがいたるのもこの時季ならではのことであるかもしれません。

 死んでいったものたちの、血と肉と土、そして志を喰うて生きている私。いのち戴き今を生きて行かざるを得ない私。死と共にある生。やがて私もそのような世界へこの身と心を捧げなければなりません。

できる限り清浄なままで、死んでいった者たちの消えて行った世界へ還っていきたいものです。それが今生を共にした者への、ひとつの恩返しでもあろうかと思うわけです。

命、お大事に。合掌。





「飲食」

桔梗や息吹きかけてひらくかに

秋暑し水の焦げたる匂ひして

飲食の切なさ風の色気なさ

秋風や性懲りもなく甲斐もなく

波立てるやうにも萩のうねりかな

トンネルの口に垂れたる葛の花

衝天もならず向日葵首垂れて

廃線を鉄道草のどこまでも

手弱女の風に酔うたる芙蓉かな

コスモスは淋しき花よ蝶よりも

松籟や月に破れし海の家

かつかつと己励ます夜食かな





お盆のころになると自然に先祖を偲ぶようになります。いのちの断絶と繋がり。人生のリレー。それはそのまま紛れもない諸行無常の端的な様子なのであるということを、季節の中で如実に実感します。お盆とはまさにそんな時季です。

 ところで、お盆にはもうひとつのイメージが私にはついて回ります。
それは「食べることの有難さ」といったことです。先祖へのお供えものとして、貧しいながらも精一杯のご馳走を用意していた母の姿が脳裏に焼き付いています。

先祖だけではありません。生きている家族や親戚と共にご馳走を食べることの幸せ。それはまるで神仏への捧げものを戴いているかの如き豪華さと賑やかさ。そしてどこか淋しい饗応でもあります。そこにはまぎれもなくこの世に遺されたという現実があります。

 やがて死すべきいのちを、ひととき永らえていることへの目覚め。食べることの嬉しさとやるせなさ。食べることの尊厳さ。生きていることの奇跡。そんなことへ思いがいたるのもこの時季ならではのことであるかもしれません。

 死んでいったものたちの、血と肉と土、そして志を喰うて生きている私。いのち戴き今を生きて行かざるを得ない私。死と共にある生。やがて私もそのような世界へこの身と心を捧げなければなりません。

できる限り清浄なままで、死んでいった者たちの消えて行った世界へ還っていきたいものです。それが今生を共にした者への、ひとつの恩返しでもあろうかと思うわけです。

命、お大事に。合掌。
盆三日影絵のごとく過ぎにけり 玉宗





「飲食」

桔梗や息吹きかけてひらくかに

秋暑し水の焦げたる匂ひして

飲食の切なさ風の色気なさ

秋風や性懲りもなく甲斐もなく

波立てるやうにも萩のうねりかな

トンネルの口に垂れたる葛の花

衝天もならず向日葵首垂れて

廃線を鉄道草のどこまでも

手弱女の風に酔うたる芙蓉かな

コスモスは淋しき花よ蝶よりも

松籟や月に破れし海の家

かつかつと己励ます夜食かな

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