再生への旅

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zoom RSS 本末転倒の世界

<<   作成日時 : 2017/10/10 06:03   >>

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干柿の食へる頃なにしてるやろ 玉宗

この世の事象は大概行き先があって行き方が決まるものであるが、人の世を見ているとどうもそうでもないらしく、行き先も当てもなく闇雲に、勢いに任せて歩くのが人生なのであるみたいな風潮に見えなくもない。

私はどっちを向いて生きて行くか?
行き先を「いのちの実相」としたのが仏教である。釈尊が末期に臨んで弟子たちに諭された遺言は「自灯明・法灯明」であった。これは人生の究極の拠り所、方向性を指し示した言葉であろう。

灯明である命こそが行き先であるとはどういうことか。今、ここの、ありようが行先そのものであるならば、存在とは目的地そのものでもあるということになる。人生という歩みは今、ここの、わがいのちを戴くことにほかならない。

人生の意義、人生の醍醐味、それが想像できない現代人。

生の終着駅が死であることを人は知っている。知ってはいるが、死の定めを避けられない生の定めを学んでいるかどうかは点検すべきであろう。生死と云う始発駅も終着駅も、「永遠の命・灯明」のレールの中での掛け替えのない一度きりの通過点である。現代社会はそのような「生の暫定値」を忘れてしまったのではないかと思われてならない。




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「米」

秋晴や飯が旨くてしやうがない

麦とろを掻き込む父の大あぐら

明日は帰るとこさへてくれし零余子飯

栗ご飯いくらなんでもまう食へぬ

方丈の軒にひと竿釣し柿

死ぬる世に膝突合せ菊膾

食べないからと古米を暮れてゆきにけり

古々米は鼠も喰はぬ世なりけり

暗がりにどんと控へし今年米

枝豆をたひらげてまたどこへやら

嘗てあり松茸飯といふものが

新蕎麦と言はれてみればそんな味

きりたんぽ食うたら早く寝ろといふ








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