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zoom RSS 今日の羊頭狗肉「放下著の世界」

<<   作成日時 : 2017/10/22 05:05   >>

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野牡丹の零れやすさよ雨もよひ 玉宗


「放下著」
と書かれたお軸を床の間に掛けてあるのを見かける。「著」の字は接尾語で特に意味はないらしい。「着」は「著」の省略形の俗字。「放下着」と書かれることもあるが、決して「下着を放つ」と呼んではいけない。


中国唐時代の禅匠・趙州さんの処へ一人の尊者がやって来て尋ねた。

「一物不将来の時如何?!」 (すべてを捨てて参りました。更に如何なる行がありましょうか?!)

その折にすかさず応えたのが「放下著!」 (捨て切ってしまへ!)である。

因みにその先もある。

「放下著」と応えられた件の尊者さん、納得いかなかったのか、或いは趙州を試そうとしたのか、重ねて問うた。

「一物不将来、箇の何をか放下せん」 (全部捨てて何ももっていないのに、何を捨てろと仰るのですか?)

「恁麼ならばすなわち擔取し去れ!」
 (そんなに捨てたということに拘るのならば、それを背負って生きて行けばいいさ!馬鹿野郎、とまでは云わなかったろうが・・・市堀)

捨てたと云っても中途半端な、気まぐれな私のはからいであり、ものさしの上でのことである。そのような差し障りのある拘りを徹底的に塵もないほどに離れ、天地の道理・仏のものさしに遵って生きていけと指南されているのである。

というより、今、ここのありようは根っから執着を離れている。それそのものになりきってみれば捨てる捨てないものない。そこに目覚めることこそが求められる。自我の底を抜けなければならない。「行」は徹底してこそ意義を全うする。そうであってこそ心底まで爽やかな、無執着な諸行無常の風が吹きわたるというものであろう。

底抜けの徹底行の先に開ける清風匝地の風光。
あるがま、仏まかせの爽やかな、無執着な、自由自在な生き方がある。死に方がある。



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「野」

沖へ出て野分たのしも鳶の笛

霜降の閼伽に仕へし坊が妻

野辺送る朝は忙しや露寒く

菊の香や彼の世この世と手向くべく

末枯れし野の明るさや遥けくも

膝抱いてかりがね寒き影法師

野牡丹の零れやすさよ雨もよひ

柴ひろふ雑木山にて秋しぐれ

韃靼の荒野を夢み馬肥ゆる

山坂の風にころころ虚栗

家を出て家を思へり野路の秋

穭田やこれより風のさ迷へる




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