再生への旅

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<<   作成日時 : 2017/10/06 05:15   >>

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ゆらゆらと蝶の飛び立つ紫苑晴 玉宗


お寺では毎月お地蔵さんの縁日に、その月に戴いたお布施と物品を書き出して、本堂に貼り出し回向している。不景気のせいでもなかろうが、最近はその項目の半分以上を物品が占めているようになった。お花 、御仏米、お菓子、梅、茄子、胡瓜、トマト、豌豆マメ、キャベツ、昆布、若芽、じゃが芋、烏賊、等々。まるで物々交換のような有り様である。言うまでもなく、人様からのお布施で露命を繋いでいるのがお坊さんである。ある意味その日暮らし的生き方ではある。いづれにしても、財施を受けるに値する生き方をしているだろうかと、毎月書き出すたびに反省させられる。お金をお布施して戴くのと違った有難味・真心が「もの」にはある。
 
ところで、お坊さんは一方的に施しを受ける存在ではない。自らが率先して、身を施し、心を施し、ものを施し、生を施し、死を施し、法を施さなければならない。貪ることのない身心ともに柔軟な姿勢でなければ何も入ってこないし、何も創造することができないだろうし、他者を恕すこともすことも、世界を受け入れることもできない。自己が空っぽでなければ施すこともできないのが一如たる現実の真相ではなかろうか。

布施行は絵空事ではない。人生の実相であり、潤滑油であろうと思っている。欲望の彼岸を志している仏弟子修行の真偽、それは私がどれほど無一物に徹して生きているかということに尽きるだろう。施しを受けて卑屈にならず、施して慢心を起こさず、生老病死に於いて常に淡々と今を生きてゆく。一切の苦厄のあってなきが如く、風鈴がどんな風にも自在に響くように、空っぽになって、あっけらかんと、それそのものの実物をひっさげて、爽やかに生きてゆきたいものである。

空なるものの寛容さ、懐の深さ、自在さがある。


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「汁」

身に入みて汁のだしにもならざりき

煮ても焼いても食へぬくわりんを砂糖漬

碌でもないをのこになびく女郎花

汁すゝる音にもうすら寒さかな

ゆらゆらとコスモス日和出て歩く

秋の暮踏んだり蹴ったり振り向いたり

蛤となりし雀を味噌汁に

閻魔吹く炎の色の唐辛子

籾殻に猫ねまりをり秋うらら

ものいはぬまなこはうつろ杜鵑草

間引菜をあり合はせたるすまし汁

破芭蕉破れながらもはためいて

稲架解くや雪の便りの来ぬうちに

十六夜や暗くしづかに汁冷めて








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