再生への旅

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zoom RSS 仏縁と俳縁

<<   作成日時 : 2017/12/19 05:06   >>

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あかときに雪掻く人の声がして 玉宗


仏縁と俳縁というものが私の中では分かち難く彩られている。
出家するきっかけになったのは俳人・金子兜太先生との出会いがなければあり得なかった。目に見えない縁に誘われての40年。さてもこれを何縁と云うべきか。

仏縁があり輪島のお寺の住職となり、「後ろ姿のしぐれてゆくか」などと山頭火気取りの放浪も見事に止んだ。俳句との縁が切れるのかと思いきや、この世にはお坊さんより俳人が遥かに多いようだ。總持寺祖院に安居修行中の身ながら吟行している愛好者に声を掛けたのが運の月。それ以来、あれよあれよと俳句の世界にのめり込み、気がつけば、俳句のできるお坊さん、という名誉(迷誉?)を忝くしている始末。再建した興禅寺は、「俳句供養塔・句碑・俳句奉納」など俳句尽しの感があるが手を拱いている現状でもある。

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兼務寺である輪島の永福寺もまた以前より俳縁が濃いお寺ではある。
輪島港がある輪島崎町のすぐ後ろの丘陵に「鳳来山公園」がある。その裾にわが永福寺がある。山号は当に「鳳来山」であり、山岡鉄舟居士になる山号額が掛っている。この公園からは袖ヶ浜海水浴場や遠く七ツ島が見渡せ、市街地一の景勝地でもある。記念植樹された桜があり、かつては花見客でにぎわっていた。

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「鶴の巣も見らるる花の葉越哉 はせを」

忠魂碑に向かって左側の石段を下りた中腹に平地があり、ここには最近まで能登三十番札所の観音堂が建っていたが、崩壊し現在は永福寺に新築移転された。この境内の一隅に芭蕉句碑がひっそりと建っている。明治十年に輪島の著名な俳人、久保守朴(九代目久保屋喜兵衛の俳号)という人が芭蕉を慕って、わざわざ近江の義仲寺から芭蕉の遺骨の一部を請いもらい受けて、ここに埋めて翁塚を作り、明治16年頃、その傍らに句碑を建てたと伝承されている。久保家の末裔は現在、永福寺の信徒総代をされている。

「能登言葉親しまれつつ花の旅  虚子」

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さて、その永福寺境内には、昭和二十九年に高浜虚子が門人七人と来輪し、大句会が開かれ会場となった。この時、輪島の俳人が百二十人も参加したと言われ、その時の記念碑として昭和三十四年に句碑が建立された。平成に入り、ホトトギス元主宰・稲畑汀子氏がお仲間と共にお寺を訪れ、やはり句会を開いたことがある。

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私は何者であるか?
いつの頃からか、今ここに息を吸っている、この肉体からものを見、感じ、表現し、信仰し、志し、自己を忘れる以外にはないと腹を括るようになった。
私の歩いた道・私の作品がそのすべてを語るだろう。




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「海神」

海神に見放されたる海鼠かな

潮に乗り流されもする障泥烏賊

取り返しつかぬと睨む鮃とも

ぶん殴るにもってこいなる鰤を買ふ

四五人で食ふにほどよき真鱈なり

鰥夫には願ってもなき秋刀魚かな

明日知れぬ顔の柳葉魚を干しにけり

国滅ぶときの雷魚かとも

魚とは思へぬ八目鰻かな

見捨てられ厭になるほど鰯群れ

嬉しくてならぬとばかり鯔跳ねる

海神に踏んづけられし鮟鱇かな







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