再生への旅

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zoom RSS ふたたび、出家とは何か?とりとめもなき雑感

<<   作成日時 : 2017/12/22 04:52   >>

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一茶忌の日向日陰や臍曲がる 玉宗


「出家」というひとつの「生き方」がある。「家」を出る。「家」を離れるとは如何なることなのか。

一度この世に生まれ出ただけでは気の済まないかのような存在の人間がいる。人は人として生まれ落ちただけではなく、人になるために生まれてきた。そのような次第の中で、生まれ変わらなければといった手間のかかる人間がいる。結果的に宗教とは自己再生の根拠を担保しなければならないかの如くに受け継がれてきた形である。

仏道に於ける「出家」もまた、そのような自己再生のための方便であり、入り口であり、近道であり、手段であり、且つ、目的であり、出口であり、本道であり、究極のところである。

求めるものとっての「道」であり、「道」があるのであり、それ故にこその「歩み」なのであり、「学び」なのであり、「人生」なのであるという極めて当たり前の、世間にもよくある話ではなかろうか。

人さまから羨ましがられるような暮らしをしたかった訳ではない。自分を蔑ろにしたくなかったということだ。
理想ばかりを述べたくて「出家」を選んだ訳ではない。「理想」に生きたかったということだ。マイペース?自分らしさ?それも又妄想である。自分のものなどどこにもありはしない。

権威、徒党、名聞、蓄財、競争。そんなものは出家者である私にとって、あってはならないことだ。

私は私になりたかった。私は私を越えたかった。ありのままでいたかった。余計なものを捨てたかった。自由でありたかった。世界と一体でありたかった。誰もがそうであるように。「出家」を選択したということはそれ以上でも、それ以下でもない。


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「香」

先をゆく跫ばかり蝶凍つる

日向ぼこ夢の解けゆく香なりけり

冬至なる大きな蓋のやうなもの

追ひつけぬ冬雲なけなしの雀

注連飾るほかに用事のなかりけり

梢吹く風を見てゐる懐手

北陸の潮の香りやずわい蟹

沖望む尾根に出でけり松迎へ

女房と冬至南瓜に刃が立たず

蹲に落葉噛みたる初氷

湯を出でし吾子に柚子の香仄かにも



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