再生への旅

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zoom RSS 御札配り「ほうらいどうねんとう!」

<<   作成日時 : 2018/01/04 04:55   >>

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四日はや子の手を借りる札配り 玉宗


今日は永福寺のお札配りである。

町内の子供たちの手と足を借りて三日間の修正会を済ませた祈祷札と献餅一片を市内の信者のお宅へ届けて廻るのである。永福寺は「鳳来堂」とも通称されており、子どもたちは玄関を開けて「ほうらいどう・ねんとう〜!」と名乗る。昔から続いている行事であり、親子三代に亘って「鳳来堂年頭」を手伝ってきたという信者の家もある。

先日、年賀参りに来たおじいちゃんとそんな昔話をしたことだった。おじいちゃんによると、昔の子供は辛抱強く、今とは比較にならない雪や寒さの中でも、一日中平気でお手伝いをしていたという。時代が移り変わって今では半日歩いただけでギブアップする子供が多くなった。児童虐待と云われかねない昨今。お寺のお手伝いと雖も、無償ではありえない。お昼御飯は勿論、用意するが、半日分のお手当、お菓子などのお土産も揃えておく。お天気の様子を窺がうだけではなく、子供たちをなだめすかしながらの恒例行持である。それもまた楽しからんやではある。

輪島市も少子化の流れにあるようだが、永福寺近隣の海士町界隈は比較的子供が多く、そういう意味では海に関わった生業に生きている人達の逞しさを感じている。私自身も漁師の町に育ったことも影響しているのか、自然と云う厳しくも優しい世界に生きている分かりやすさが実にいい感じではある。

良くも悪くも神社仏閣への関わりも老若男女それぞれに伝承されている。その内容が因習とか迷信の域を出ていないのかもしれないが、人智や人力を越えた世界への謙虚さや頭を垂れる誠実さが彼らには確かにあると言っていい。それもこれも自然から学んだものなのだろう。知や理屈の世界に生きている人間よりは余程神仏に近い生き方をしていると私は思っている。

彼等は生き方の典型としてお坊さんを見てはいない節がある。どこまでも「仏を守る歩哨」といった存在者、職人、聖職者であると捉えているようだ。そして、任せきっている人間の隙のようなものが彼らにはある。そういう意味では彼等の眼差しは大らかで、且つ厳しい。このお坊さんが本物であるかどうか、彼等は敏感に嗅ぎ取っているに違いない。私はそう思っている。



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「四」

水に仕へし甲斐がいしさよ開豆

飯を炊く湯気の香りや藪柑子

四日はや子の手を借りる札配り

悪い子もよい子も眠れ団子花

捨て子なる赤き目をせし猿を曳き

呆けたるまゝに過ぎたりもう四日

お年玉貰うてどこへ行つたやら

懸想文母の箪笥の奥処より

朝市へ四日の橋や曳き売り女

深々と夜の底ひをあまめはぎ

参道の雪を掻き分け初箒





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