再生への旅

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<<   作成日時 : 2018/01/07 05:05   >>

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葉牡丹の花とふには大袈裟な 玉宗

良寛様に次の様な詩がある。

生涯懶立身

騰騰任天真

嚢中三升米

炉辺一束薪

誰問迷悟跡

何知名利塵

夜雨草庵裡

雙脚等間伸



欲望との間の取り方といったものは人それぞれの様子があろう。ここには「等間」という言葉からも察せられる良寛様の間の取り方が詠われている。ものたりよう、もの足りようとして已まない人間の業苦といったものがあろう。そのような輪廻を見事に断ち切った解脱人がここに表現されている。物足りないままに満ち足りている、只のひと、とでも言うべき絶対者、孤独な存在者。

立身出世も求めず、世の中を変えようともせず、恨むこともなく、寺も持たず、食べる分だけのお米があればそれでよしとし、人を羨むこともなく、墨がなくなれば空に向かって筆を走らせ、腹が空きもの憂ければ炉辺に手枕して眠り、子供らと時を忘れて遊び呆け、民の飢饉災難には泪し、来るものは拒まず、去る者は追わず、自在な嘘偽りのない、こだわりのない生き様。

これが良寛さまの欲望との間の取り方なのである。それはそのまま社会との間の取り方でもあろう。欲望に物憂き仏弟子がここにいる。

その歌、その句、その書、その姿は名もなく貧しい人々をして心癒し、寛がせ、愛された。世間的には能無し、愚のごとく、魯の如く。仏任せの、解脱の世界。良寛様はそのような世界にひとり遊びをされていた。まさに生きながら死に果てて、思いのままにするぞたのしき風狂の系譜、典型がここにある。












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「七」

千里来て若菜に触れてゆく風よ

薺粥冷ますに息の間に合はず

彼の岸へ吹き寄す熱き七日粥

七種に足らねど粥のめでたさよ

妻に指預けてゐたる薺爪

羊歯の葉の反りも七日ぞくるくると

芹摘むや里の田水に手を切りて

草となり仏のねまる座なりけり

萌え出でてまだ律ならぬ薺かな

日当たりに御形繁縷手をつなぎ

菘蘿蔔風のすさびもいとけなき

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