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zoom RSS 公益性って、どうよ?!

<<   作成日時 : 2018/04/19 04:38   >>

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春の暮遠くのものがよく見えて 玉宗

昨今、「公益性」という言葉をよく耳にする。
「俳人協会」も数年前に「公益法人」になったのではなかったかな。「伝統俳句協会「現代俳句協会」はどうなんだろう。
「相撲協会」もまた「公益法人」らしい。数億円の営業をあげている協会が十数万円の法人税で済まされているのも「公益性」の故であるとか。わが寺が、年間二百万前後のお布施でも食べていけるのも「公益性」のお陰であるという事になるのかな。

非課税と公益性が関連づけられ、「非課税の根拠は公益性」という考えが定着しているようだが、課税と公益性は本来関連していないといった指摘もある。外国では営利法人と非営利法人という分類が一般的で、前者は利益を分配するが、後者は剰余金が出ても翌年度に繰り越すので、課税対象とすべき収益がなく税金がかからない。宗教法人は公益性があるから非課税なのではなく、非営利性ゆえに非課税なのであるというもの。わが国では「非課税なのだから公益的でなければならない」といった本末転倒的な強迫観念が定着している。

「公益性」ということで私が思うのは、道元禅師のお示しである「修証義」の中の一節でもある「治生産業もとより布施にあらざることなし」という言葉である。

政治経済、司法行政、商業農業工業、一般社会の万般の行事も又「布施行」であるというのである。「公益性」と「布施行」を全く同一であるとは云えないかもしれないが、「私無く、公的なものに尽くす」という意味では同じ真心の世界の話しではなかろうか?

課税も又、公的なものであり、宗教界といえども応分にその「布施行」を積まなければならない。言い方を変えるならば、どんなに小さな営利会社であっても大いに「社会貢献」している現実があるということだ。「公益性」なるがゆえに「非課税」という根拠は不十分であると言わざるを得ないのではないか。というより、宗教における「公益」とは「数量」に換算できたり」、できなかったりするものではない。

国家が宗教法人に非課税の免罪符を与えたについては色々歴史的な経緯があるのだろう。
課税の形態も時代と共に変わってきているのではないだろうか?そういう点から云えば、「非営利法人」なるがゆえに「非課税」というのは、宗教活動の無償性、活動が手段であり目的であるとの趣旨にも添うものではないだろうか。平たく言えば、お坊さんは儲けてはならない、貯めこんではならない、商売してはならない、という戒律に添うものでもあるということだ。

今後、宗教本来の活動と宗教法人との線引きが厳密化していくであろうという指摘がある。
葬祭業者と僧侶とのよろしからざる関係が噂になって久しい。やはり、ここでも、お坊さん自身の人間性、宗教性が問われている。このような事例を見るにつけて、拝金主義が幅を利かせている現代にあって、お金にも権威にも偶像にも頭を下げない、お寺という非営利の領域、浮世離れした領域があってもいいのではなかろうかと思う訳である。命に関わるものすべてがお金に換算できるというのも、人間の傲慢さ、愚かさ、錯覚以外のなにものでもないと思うのだが。というより、そのような狭い根性に、とても「公益性」を語る資格があるとは思えないのだが。



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「種明かし」

蕗の葉の下ゆく水のささ流れ

茎立や明日は出てゆく故郷の

夢を見し肉のひだるさ花は葉に

だれとでも仲良くなれとチューリップ

春の暮遠くのものがよく見えて

楓咲き風の渚となりにけり

愛されずして一人静かに花となり

碇草帰る港もなかりけり

種明かしすれば石楠花なりにけり

出たがりの蕨の腰を折りたがり

生贄の妹が編みたるクローバー

蒲公英や指切りげんまんとは哀し







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