再生への旅

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zoom RSS 選択の余地?!

<<   作成日時 : 2018/04/21 04:56   >>

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歎くかに藤垂れ空の只青し 玉宗

「生きるとは選択することである」と言った思想家がいる。
確かに、人生を顧みれば、大なり小なり様々な場面で選択を迫られている事実がある。どのような選択をするにせよ、それは私にとって日々刻々新しい世界への旅立ちであり、扉を開くことでもある。そして。分け入った先の世界で精一杯生きるのではあるが、当て外れたりして悔やんだり、地団駄を踏んだりすることのなんと多いことか。

「生きていることは理屈ではない。現実を見よ」とも言われたりするのだが、それほどに「理屈」を先立てているということか。恐らく、間違いの要因はその辺にありそうだ。世界には先ず理屈があったとは思われない。生きている事実まるごとが、なんだか知らんが、今、ここに、かくのごとく、あるばかり。心落ち着けて顧みれが、そのような一方的にして、受動的なといっていいような事実がある。

私が生きていると、人は何気なく言うのであるが、それは命の在り様を性格には表していない。私が生きているというより、生きている事実を私と言うべきかもしれない。というより、もっと事実に即して言えば、私と呼ぼうが何と呼ぼうが大した問題ではない。

此の世に生まれ落ちた事実も、私に都合のいい選択の余地があったとはとても思えない。あるべくして生まれ、あるべくして生きて、あるべくして死ぬるのだろう。そこには、私の小賢しい計らいや選択に左右されない、実になんともなく厳粛ないのちの働きが展開している。

偏りのない、命の在り様。この、わたしがいてもいなくてもなんともない有難さ、一大事因縁に目覚め、まるごと受け入れる。人生の選択に迫られた折の拠り所は、そのような空なる領域であるのが仏弟子の面目でもあろうかと思う次第。合掌




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「ぷいと」

穀雨とは思へぬ尻の軽さかな

毛を刈られ野に放たれし羊かな

うれしくてならぬとばかり舞ふ燕

蜂が来てほどなくぷいと出てゆきぬ

海女といふ海に嫁ぎし女かな

平らかに青き風吹く汐干狩

遠足の茣蓙敷く杜の木漏れ日に

青き踏むほかなし己励ますに

転校生来たる雁瘡癒ゆるころ

雲水が寄ってたかって蕨狩

筍飯さすがに四杯は食へぬ

日に夜を継いで鳴かねば済まぬ蛙かな

ふらりふらりとあらぬ方より亀の声

春三日月ぷいと拗ねたる女かな








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