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zoom RSS 花まつり企画、その後「いのちの尊さ」

<<   作成日時 : 2018/04/26 05:05   >>

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誰か来てこの指止まれ花まつり 玉宗

さて、興禅寺の花まつりが来月十六日に控えているのだが、はじめての試みとなる「象さん行列」ということで、当日のお天気もそうだが、準備やら何やらで、正直なところ聊か落ち着かぬ日々を送っている。

そんな要因の一つに、ある檀家さんが指摘していたことが妙に引っかかる。

「方丈さん、象さんを引いて花まつりを盛り上げようというはいいけど、引っ張る子供がいるのかしら?」

門前町は少子高齢化として県内に名をはせているような町である。このような心配も故なしとはしない。子供の数より老人やお坊さんの数の方が多い。まあ、それは悪い冗談だが。
象さんの引き役のことに関しては、私も少なからず気には掛けていたのではある。保育園に出向いて、当日参加してくれる園児を確保したのだが、その数二十一名というご返事を戴いた。多いんだか少ないんだか分からんのだが、興禅寺の象さんを引いて歩くには十分な賑わいだと私は思っている。

ところで、子供もなんだが、私は以前から「花まつり」が「子供のための行事」みたいな常識になっているのが気に入らない。「花まつり」とは言うまでもなく「釈尊降誕会」であり、釈迦牟尼世尊の誕生を期しての報恩行持といったものであろう。聖人の誕生を祝い、その功徳に身も心も養生することが求められている。「天上天下唯我独尊」とは誕生仏の獅子口一聲、一大事因縁の宣言と言ってよい。いのちの奇跡、尊さ、かけがえのなさに目覚め、その尊さをわが身わが心に引き受けて今を生きることを期していよう。

そのような信仰心の期待の対象は言うまでもなく、老若男女を問うてはいない。善人悪人、貴賤凡聖、出家在家、勝ち組負け組、肩書烙印を選ばない真実である。命の尊さ。それは生老病死それぞれを今とした尊さである。生まれたことだけがとうといのではない。生きている今も。老いている今も、病の今も、死んでいこうとしている今も、清濁併せて、ピンからキリまで、猫も杓子も、山河大地も、死も、生も、すべていのちの尊さ、尊い命の様子に代わりはない。

そういう次第であるから、花まつりに於いて象さんを引いて歩くのに、子供でなければならないという根拠は頗る偏ったものであると言わざるを得ない。ということで、興禅寺の花まつりに於いては、老若男女を選ばず、参加してくださいと町内に案内をするつもりなのである。

私の思惑に応えて頂いた場合、理想的には子供は勿論、じいちゃん、ばあちゃん、犬猫まで一緒に象さんを引いて歩いている光景を目の当たりにすることであろう。流石に病人や危篤の方はご一緒できないだろうが、お坊さんである私も一緒に歩くつもりである。

さて、どうなることやら。




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「が来て二十句」

誰か来てこの指止まれ花まつり

寝過ごしぬあつといふ間に朝が来て

ぶち当たる満天星躑躅蜂が来て

僧が来て蕨の腰をへし折りぬ

芍薬の莟擽る蟻が来て

画家が来て風の光るを写生せり

大手毬小手毬風が来て揺らす

父が来て俺が親だと花くわりん

日照雨来て叩きのめせし花苺

もう食へぬ筍飯に飽きが来て

また一人夏の隣りに来て帰る

人浚ふ顔し風船売りが来て

母が来て春の夢路の枕辺に

バスが来て停まる菜の花畑かな

式台の竹の子退かす客が来て

生きて来て春の深みに嵌るなり

春の闇見てをり参拝客が来て

剪定に影を落とせり雲が来て

春や淋しも妻と二人の夜が来て

天狗来て春三日月にぶら下がる









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