再生への旅

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<<   作成日時 : 2018/05/14 02:48   >>

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梢吹く風の音にも夏めきて 玉宗


正法眼蔵・大悟」巻の中に次のような一節がある。

「いはくの今時は、人人の而今なり。令我念過去未来現在、いく千萬なりとも今時なり。而今なり。人の分上はかならず今時なり。」

生きていると様々な不安に襲われることがある。
いわゆる人生の生老病死を始めとする諸行無常への思い煩いがある。思いは過去や未来を行ったり来たりしているが如くであるが、その実態は思いが過去や未来を作り出しているのではないか。人は思いを頼りとして現実と云う闇にして手強い、そして謎めく世界を生き抜き、さ迷い、手探りし。泳ぎ渡ろうとしているかの如くである。

それにしても、私のいのちの実物は私の思いを難なく越えているかのようである。昨日も今日も、そして今も。命は、思ったり思わなかったりしても、或いは、思い通りになったりならなかったりしても、いつも「今、ここで、息をして吐いている」という「実物」をしているばかりではないか、ということに気付くのである。

「今」以外の何処にも、逃れ、隠れ、或いは足したり引いたりすることのできる「空間」も「時間」もない。現実とは私とは別物として無関係であるかの如くにありつつも、私という「今」の存在を抜きにしては語れも言い逃れも切り込んでゆくことも、或いは創造し再生することもできない。

存在することの不思議さとは、そのような謎に満ちた世界に自ずから対応する力を備えている。人の分上は「今」という「空なるもの」以外にあり得ないということに目覚めなければならない。


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「母二十句」

一人づつ誰もが母の日なりけり

母の手にいつも若葉の冷えありし

はんざきに生まれ変はりし母かとも

尻叩く母の手になる蒸饅頭

柔らかな母の恋しき寝冷かな

甘く暗き匂ひす母の洗ひ髪

はまなすや海には母の字が隠れ

母の手に余る大きな素足もて

九十の母にひた打つ天瓜粉

陸に上がりし鯉のやうにも母昼寝

端居せし母が遠流の顔をして

夏めくやつべこべ申す母のゐて

大手毬小手毬母の声弾む

競ふ世に花と寄り添ふ母子草

豆飯や仏の母のお下がりの

大丸にカーネーションを買ひしのみ

母とふたり桜蘂降る街に生き

草笛や母を失くしてこの方の

垂乳根の窶れ卯の花腐しかな

早苗吹く風の遊びや母の国




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