再生への旅

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zoom RSS お袈裟の色が気になりますか?

<<   作成日時 : 2018/05/19 04:38   >>

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梢吹く風の眩しき安居かな 玉宗


お坊さんと云えば墨染の衣というイメージがあるかもしれないが、お釈迦様もその弟子も、みな糞掃衣と呼ばれるお袈裟を身に着けていた。「糞掃衣」とは捨てられて顧みられなくなった襤褸布で作った衣のことである。色彩も壊色と云われるものである。原色ではなく謂わば汚れたような、濁った色合いのこと。

何故かと言えば、執着の対象から離れているからであろう。執着を起させないということ。着る物、見る物ひとつでも人間は迷い、拘るものである。殊更に粗末な装いをするというのではなく、一切合切の束縛から解脱することが面目である仏弟子にとっては当然の気配り、本義ともいうべきもの。一衣一鉢。「糞掃衣」と「応量器」が仏弟子の代名詞でもあった。釈尊は一生、粗末な布で作った衣を身に纏い、それ以外の華美なお袈裟は着る事がなかったという。
 
さて、赤、黄、紫、金襴など、現在では彩色・生地・裁縫まで品物も様々である。色合いによって権威付けするまでに至っている。いつのころからこのような状況になったのか詳らかにしないが、お坊さんの需要に業者が応えたものか、業者の誘いにお坊さんが乗っているのか。檀信徒の期待に応えたものなのかどうか。どちらが実際の真相に近いのか判別しかねるが、恐らくいずれでもあろう。そんなことであるからか、檀家さんや一般の方々もお袈裟や衣の色でお坊さんの値打ちを判断することになるのかもしれない。檀家さんも又、わが菩提寺の住職が黒衣しか着れない人物であることに我慢がならないという次第になってしまう。

「檀家さんのためにもいろんな衣装を着てあげる。それでいいじゃないか。中身の問題とは別。」というような事を公言する住職もいる。一方に、誰がなんと言おうと、如法な、壊色で通すという人物もいるだろうし、自ら手ずから袈裟衣を縫い上げる方々もおられる。
 
衣装と雖も疎かならぬのが宗旨でもあるのは承知している。いずれにしても、私には豪華な衣やお袈裟を着る資格もお金もないし、興味もない。能登半島地震復興に当たって自坊を再建して「緋恩衣」を無償で戴けたことを最近になって知ったのだが、今更どうでもよい。

このような言挙げは、如何にも小人の負け惜しみに聞こえるかもしれないが、衣やお袈裟の色かどうのこうのと拘るよりもっと一大事な内実の問題が山積していることを忘れたくはない、という思いがあることも本心ではある。
雲水の頃は衣や袈裟の色に頓着などしなかったし、良寛のように生きていたいといった憧れを未だに捨てきれないでいる私がいる。住職になっても、生涯一雲水の志で生きていたい。そのようなわが仏道の理想から言っても袈裟の色にこころ迷わすことなど恥ずかしいことだ。

袈裟や衣の色だけではない。
宗門という組織内での肩書や資格も私には不要だ。人間、そして仏弟子・市堀玉宗だけで結構である。


 「何故に家を出でしと折ふしはわが身に恥じよ墨染の袖 良寛」





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「経巻二十句」

夏草や経巻眠る匂ひして

僧兵の息を潜めし木下闇

転生もならずと雨に鳴く蛙

口伝あり教外別伝蠅叩

叱られに来て風鈴を聞いてをり

三尺寝仏の前の気楽さの

仏弟子の由緒正しき裸なり

経蔵に深入りしたる夏燕

墨染の袖ひらひらと南風

魔訶般若波羅蜜多心経暑かりき

草引くや習はぬ経を覚えつゝ

蓮池を巡る大悟もならずして

托鉢の米に生まれし米の虫

涼しさや経諳んずる石の上

大蔵経たらふく喰ひし紙魚の跡

死ぬる世に生きた心地や昼寝覚

炎天を来て一切経を廻すなり

念仏の里に老いたり水を打つ

卒塔婆のしとどに濡れし緑雨かな

夜三更妙法蓮華経青葉木兎








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