再生への旅

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zoom RSS リスペクト、ってどうよ?!

<<   作成日時 : 2018/05/26 04:55   >>

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死にたれば鉦や太鼓や雲の峰 玉宗

横文字が氾濫する日本社会ではあるが、最近、若い人の間にあってもよく耳にする言葉の一つに「リスペクト」がある。 英語では「respect」。 動詞では「(人や性質などを)尊敬する」「重んずる」、名詞では「敬意」「尊敬」「尊重」といった意味になるそうだ。「あいつはリスペクトが足りない」と、他人の言動をとやかく論う文脈の中で使われていたりする。近頃耳にした中では、「横綱へのリスペクトが足りない」「名人へのリスペクトが足りない」などと言ったものがあった。

夫人の観察によると、私は人様へのリスペクトが足りないのだそうだ。同じような年ごろの人は大概年下扱いする。確かに「あいつは、一体何様のつもりだい!」というのが以前からの私の口癖ではある。それに対して夫人が応じるには「お父さんは俺様だものね・・・」と、軽蔑が半端ない。従来から人を全面的に信用しないところがある。人間は条件次第で善にも悪にも傾斜する。だから、いつも一期一会、一発勝負で相手を受け容れ、或いは突き放す癖がある。

出家以前より、「素の人間、人間の素なるところ」を相手にして生きて行きたいと思ってきた。それは田舎者であることの恥じらいの反動からでもあろうか。飾らない、素なる真心、いのち、人生をリスペクトすることに吝かではないつもりではある。然し、生身の人間、生な現実というのも私には手に負えない代物であった。それらの絶望体験が私の出家の要因であったことは間違いない。

そのような私ではあるから、出家以後は特に顕著になったのが、人間の愚かさをリスペクトするつもりは毛頭ないという信念である。正直なところ、偶像崇拝なんか、まっぴらごめんである。肩書?屁のようなものを有難がるつもりもない。実物、そのものだけが私を大人しくさせる。自ずから謙ることを余儀なくする。

他者と相通じることへの絶望観から未だに抜け出せないでいるようなところがある。然し、このような観察眼を持ち続けていい訳がない。仏弟子であるからには、分け隔てなく、生身の人間性ではなく、それこそいつも私自身が口外している「人間性を越えたところのの仏心」へのリスペクトがなくてはならない。手を合わせるのは「仏心」へ手を合わせるのだ。人間という欲望の化身に手を合わせるのではない。

そのような仏心への期待をも含めて、縁ある人へのリスペクトを保ち続けていきたいものではある。そうでないと、理想だけが先走り、現実が宙に浮いてしまう。他者をリスペクトすることは、現実に理想を反映する上で欠かせないものなのかもしれない。そうであってこその、究極の自己実現ということになるのだろうね。




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「明暗」

穀象や貧しき家の明るさの

茶屋街に西や東や片蔭り

水鉄砲借りを返しにゆくといふ

冷奴お見通しなる妻とゐて

日傘ゆく三行半の日和かな

夏座敷風が素通りしてゆきぬ

水打ちて戻れば家の暗さかな

風鈴が待ち草臥れて鳴り出しぬ

仮の世に大きな素足もて生まれ

人生に見放されたる裸とも

三界に流れ着いたる洗ひ髪

貶されも褒められもせず蠅生まれ

蝙蝠や暗める空の明るさの

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