畑作務・土と共に生きる

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芋植うるごとくに母を葬れり  玉宗


私はどちらかと云えば、今のところ頭を使うより、体を動かしている方が安心していられる。
と、思いこんでいた。しかし、最近どうもそうではないらしいことに気づきはじめている。

加齢による体力の影響もあるのだろうが、畑仕事などにも大いに興味があるのだが、如何せん、中身の伴わない興味のようで、野菜作りでは何度も失敗を繰り返し、挙句の果ては放り投げてきた実績がある。
どうやら本質的には怠け者なのか、体を動かすのが得意と云うのは詭弁か誤魔化しで、本来はじっとしているのが好きな文弱の徒なのかもしれない。

それにしても、私が土や畑などの自然に拘るのは故郷の影響を抜きにしては語れないようだ。

生まれ故郷は北海道渡島半島南部、太平洋側に面した小さな漁師町であるが、母は1haほどの畑で家族が年間食べる分の野菜を作っていた。じゃが芋、玉蜀黍、玉ねぎ、豆類、葉野菜、根菜類など年間を通じて2キロ程離れた畑に通っていた。小学生のころから一日を畑仕事を手伝ったり、畑の周りの山や小川で遊んで過ごした記憶がある。学校が終わった夕方、畑にいる母を迎えに妹を乗せてリヤカーを曳いて行った。帰りは母の曳くリヤカーに乗せてもらうのが楽しみであった。

海や山にはと暮らした幼い頃のほんわかした記憶がいまだに切り離せないでいる。土や自然に触れ、包まれていること、それは故郷や両親の無条件な愛情に包まれていることと同じような時空なのかもしれない。畑仕事がしたいとか、体を動かしている方が得意だなどという自己弁護や願望には、どうもそんな深層心理の子細があるらしい。

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さて、作務にもいろいろあることをブログでも記事にしてきたが、僧堂には「園頭」と呼ばれる「「畑作務主任」みたいな役を与えられている僧堂がある。

私が初めて安居した専門僧堂は以前にも紹介した愛媛県新居浜市にある「瑞応寺専門僧堂」である。昭和57年のこと。あの頃の瑞応寺にも「園頭」の配役があったようだ。

あったようだという不確かな言い方は無責任であるが、あの頃の私には畑作務などに興味はなかったのである。己事究明に畑仕事?あり得ない、みたいな我慢があったのだろう。専ら坐禅の長さやお経の上手さや境涯の深さを競っていた節がある。我ながら未熟としか言いようがない。

その瑞応寺僧堂に福井県小浜の仏国寺というお寺からきて、同じ時期に安居していた仏心さんという方がおられた。もの静かな方で坐禅もしっかり坐っていらした。
上山から半年ほどして僧堂内の配役が変わった。私は自分の役を忘れてしまったのだが、仏心さんが「園頭」の役に就いたことを忘れないでいる。人一倍坐禅に親しんでおられた仏心さんが、傍目には喜々として畑作務をひとりでこなしているのである。それがまた玄人はだしの作業ぶりであることに驚いたものだ。先ず、柵を作り堆肥作りから始めていた。
後に知ったことだが、師寮寺である仏国寺というお寺でも自給自足に近い生活ぶりなのだったという。坐禅もそうだが、畑作務にも年季が入っていたのである。

その後消息も解らぬ儘、二十五年以上も仏心さんとは会っていない。折につけ、本当の修行とは何なのかかえりみるとき、脳裏に蘇るのは当時の彼の姿なのである。偏見や思い込みを抱かないことは云ううまでもなく、自己を買い被ったり、卑下したり、誤魔化したりしない事が修行の要諦であることを思い起こさせてくれる人ではあった。
競争など以ての外であり、論外である。

今も、人知れず黙々と、土と共に、土のように、あるがままに生きておられることだろう。合掌




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この記事へのコメント

愚石
2010年03月28日 18:21
小学校時代にそれだけ豊かな経験をしておられると、やはり回帰願望があるのでしょうね。
私も程度の差こそあれ似たような経験がありますので、老後を如何にあの時代風に生きるかに思いを巡らせます。
できるなら戻ってみたいあの畑!(^^;
kemm
2010年03月29日 06:58
今日のお話を読みながらふと道元禅師の一生を描いた映画「禅」を思いだしました。
中国へ渡り教えを受けられた天童如浄禅師も仏心さんと同じようであったような・・そんな感じを受けました。
「園頭」もまた禅の修業そのものと言うことなのですね。
yoshiyoshi
2010年03月29日 15:07
げんげ田やさっきまで犬の寝てたらし    よし
ナズナ
2010年03月29日 16:04
歳を取ったら
私も何となく畑仕事が上手くなりました
私も母に手伝って芋を運んだり肥料を運んだり
高い場所に畑がありますのでみんな背負って歩きます
村全体の畑が高いところにあるんです
みんなそうだから
それなりに楽しかった
よそのお家に手伝いにいくと、こびり(おやつ)がでて、それを頂くのも楽しみの一つ
昔は貧しかったけど
近所のつながりはすごくよかったです
日本人は、、そうした世界を嫌いすぎているような
戻らなければいけない時代に入ったのではと
大事なことを何処かに置き忘れていると思います
ルフレママ
2010年03月29日 19:51
こんばんは。
耳の痛いお話でした。
人間本来の姿、仏心さんの姿なんでしょうか?
黙々と与えられた仕事を嬉々としてこなされる。
不平不満もなくただ 土と対話しながら・・・
安易なところへ行ってしまう私、襟を正していかなければいけませんね。
陽だまり
2010年03月29日 20:42
市堀玉宗さん こんばんは!

土と共に生きることが出来れば一番
良いのでしょうね。
家内も4月から毎日が日曜日のようです。
いませっせと土作りに、汗をかいています。
昔は私も手伝っていたのですが、
今は知らんふりしています。
また手伝わないといけないような
雰囲気になってきました。(笑い)

遊子
2010年03月29日 23:06
芋植うるごとくに母を葬れり  玉宗

真理をさらりと突いていて、どきりとしました。
櫻のぱっとさいたテンプレに小さな玉宗さん、良いですね。
れいん
2010年03月30日 08:29
頭を使うより、身体を動かす方が安心していられる。。実感です。地に親しんで身体を使う生き方は生きる道そのものですね。

昨日も伺ったのですがこちらの画面が固まってしまいました。
今日は旨く行きますように。。。合掌
からっぽ禅蔵
2010年03月30日 12:03
失礼いたします。
お陰様をもちまして、私「からっぽ禅蔵」この度出家いたしました。
玉宗様には、以前ブログ上で、出家に関してお気にかけていただいき、大変感謝しております。
ブログ上では、俗名、法名とも非公開にさせていただいておりますので、出家の身でありながら法名を名乗らない御無礼をどうかお許しください。
甚だ簡単で失礼ではありますが、出家のご報告を申し上げます。
九拝
市堀
2010年03月30日 18:53
愚石さま。回帰願望、それが男のロマンの本質だったりするのでしょうか。

kemmさま。「禅」をご覧になりましたか。「禅」は特別のものではなく、日常の生き様の本質に関わるものだと思います。宗教ですら、当然ですが・・

よしさま。一句ありがとうございます。なんともない風景がいいです。

ナズナさま。古き良き時代、というようなことを私も感じ、口にするようになりました。これって、どうなんでしょうね。

ルフレママさま。言うまいと思っても、不平や不満を言い、心に抱くのが人間ですね。偶にガス抜きをしなければ、自家中毒しそうです。

陽だまりさま。土とともに生きて人のデスマスクは心豊かに、ほんわりとさせてくれます。神様の贈物ですね。

遊子様。シドニーも自然豊かなところのようですね。こころ素朴に生きている遊子さまに乾杯です。

れいんさま。コメント恐縮です。送信の不具合が続いているようですね。どうしたらいいのか解らず、こまっています。すいません。

からっぽ禅蔵さま。ご出家おめでとうございます。背伸びせず、一歩一歩確かな歩みを進めてください。

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