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海神へ浜昼顔の回向なる  玉宗


「海を見たい」


自分が

どこから来て

どこへ行こうとしているのか

わからなくなる

そんなとき

ふらりと

夢から目覚めたような足取りで

水無月の

しづかな海を見たくなる


行かねばならないこともないようなのだが

行かねばならない者のように

夢を見つめ直すために

夢を捨てるために

水無月の

きれいな風に吹かれてゐたい


愛憎も

悔恨も

希望も

挫折も

すべて

いつの間に

あんなに遠い

海原


そこには

もう取り返しがつかないほどに

生きてしまったような

私の沖がある


遠つ国の

風は

心の洞に吹くようで

神様、私は

いたたまれない


なにもかもが

赦されるもののよう

なにもかもが

幻のよう

なにもかもが

叶わぬ愛のようで


それでも

海を見たい

そんなときが私にはある


海は

生きることの

虚しさのように美しい





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沖を恋うて薊は夏を焦がしけり  玉宗


「海・十句」


波の秀を掠めて来る夏の蝶

海の日の海大粒の雨叩く

岬まで泳ぎたる子を讃へけり

父が灯す烏賊釣り舟を指差せる

蝶となり海を渡らむ更衣

はまなすや沖遠くして恋ふるもの

雨ついて戻る入舟立葵 

わだつみの見ゆる茅の輪を潜りけり

夏潮の沖より海人の神来ると

海光る浜大根の花陰に 





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この記事へのコメント

ルフレママ
2010年06月16日 20:45
こんばんは。
人間は太古の昔、海から生まれたといいます。
ミジンコのようなもの、、、だったとか?
母の胎内の羊水にプカプカと遊んでいた思い。
海は人間の原点、、、、懐かしさが溢れます。
でも子供の頃 溺れかけて海に帰り損ねましたが・・・。何か変なこと言いましたか?
花てぼ
2010年06月16日 22:11
「よい記事と思われましたらポチっとお願い致します。合掌」ですって?ポチっ、どころか「パチっ!」と音を立てたいところですよ。
でも残念ながら私は、こういう海への想いを感じることができないのです。海は昔から「見に行く」ものであって、生活の中になかったからでしょうか。海と言えば私は海岸で貝や、漂流物を拾うことしか考えません。ですから、こんな素晴らしい詩や俳句ができる海をもっておられることを羨ましく思います。
海だけではない、何に対してもですが。
あかね
2010年06月16日 23:52
ご無沙汰しております。
海なし県に住んでる者にとって
海は一種の憧れでもあります。
今春、社会人になった息子は
海の近くに住み始めました。
心に沁みる海十句ですね。
そして、クロちゃんのその後が
気にかかっております。
いらくさ
2010年06月17日 01:38
こんばんは。
海の詩が出てきて嬉しくなりました。
3年前3ヶ月間海辺の町で生活しました。
丁度6月17日からです。
思い出して写真を見ていたところでした。
私も海の歌書いてみます。
yoshiyoshi
2010年06月17日 02:03
海恋し街のかふぇーの金魚玉     よし
湘次
2010年06月17日 09:01
海の近くに住み始めて35年経ちました。
海は好きです。
市堀
2010年06月17日 20:20
ルフレママさま。私も何度か溺れかけたことがあります。優しくも怖いのが海でもありますね。
花てぼさま。私にとっても「見に行く」ものである海です。父は漁師でしたから生活そのものだったでしょう。
あかねさま。コメントありがとうございます。御子息様が巣立って行かれましたか、いつまでたっても心配が尽きないのが親ですね。海と向き合う日常が始まる訳ですね。
いらくささま。ブログの写真がそうですか・海外のようにお見受けしましたが。
よしさま。金魚が海を恋うているみたいです。
湘次さま。そちらは太平洋ですね。なんといっても日本海とは趣がちがいますね。広々とした感じが太平洋にはあります。合掌

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