忘れられないこと

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方丈を吹きぬけてゆく南風  玉宗


宗門の機関紙である『禅の友』八月号お盆特集に拙文を載せていただいた。「忘れられないこと」と題した以前ブログで紹介した鷲見透玄老師との出会いと別れの話である。内容に多少手を入れ再掲する。


「忘れられないこと」 

故鷲見透玄老師は愛知県知多市宇宙山乾坤院の住職であられた。そして私が現在住職をしている輪島市門前町興禅寺住職をかつて兼務されていた。

今から三十年程前、私は出家したくて日本各地を歩き回っていた。新しい師匠を探していたのだ。やっと紹介状を書いてもらい訪ねたのが、当時大本山総持寺祖院監院職に就いておられた鷲見老師であった。
こっそり中身を盗み見た紹介状には「臨済の寺を飛び出し、新たにつくべき師匠を探しているようです。出家の志しは強いようです。一つ面倒をみて頂けませんか。云々」とあった。

知客寮に来山の旨を告げ上がらせていただく。
監院寮に案内され初相見。その時私が何をしゃべったのか、老師がどのような指示をされたのか全く覚えていない。物腰が柔らかく、物言いも姿勢よく、そのめりはりの利いた存在感に私は圧倒されていた。その思いは今でも変わらない。

後に聞いたところによると、鷲見老師は臨済の衣を着てとぐろを巻いている変な奴を弟子にするお考えは毛頭なかったようで、役寮会議では私の扱いに苦慮したらしい。僧堂へ置いておくには参禅者でもないし、雲水でもないし、そこでお鉢を回されたのが当時の後堂さま。鷲見監院曰く、
「後堂さん、なんとかしてやってちょうだい。」
ということであったらしい。その後縁あって後堂老師に得度を受け、曹洞宗に僧籍を置く事ができるようになった。

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参学師となる鷲見老師とはその後祖院へ正式に安居した折から、親しくその謦咳に接することになる。
初相見の印象は崩れることはなく、細身の体に似合わないその音声の殷々たること比類がなかった。「首楞厳経」を経本を持たず朗々と誦まれる姿には感動すら抱いたものだ。
近づき難い雰囲気もないではなかったが、思わず背筋が伸びると同時に心を解放させてくださる魅力がお在りだった。

何故か私に目をかけて下さるようになり、足が弱ってからは、侍者として自坊の乾坤院まで車でお送りしたこともある。自坊に泊めていただいた次の日の朝、方丈へ出向くとひとりでまだ食事をされていた。トーストにスクランブルエッグのようなものを召し上がっていた。

老師は宗門のアメリカ布教の統監をされたこともあり、宗門は勿論、祖院にも永年尽くされるなど、隠然たる僧歴をお持ちのお方である。敷居が高いと言ったらこの上ないのだが、私は敷居を跨いで入りこむ鈍さも持ち合わせており、この時なども、なるほど、これがアメリカナイズされた粥坐であるか、などと俄かに親しみが湧き、ご一緒にその場で頂戴したものだった。

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そんなある日、監院寮に呼び出された。
「玉宗さん、あなた、興禅寺に入りなさい。」
「はっ?興禅寺ってなんですか?」
老師は祖院の監院職にありながら、直末寺院である興禅寺住職を兼務されていた。祖院の目と鼻の先にあるお寺の存在も私は知らない雲水であった。
「なんで私が?」
「よろしく、頼みますよ。ああ、よかった、よかった。」
尊敬する老師にそう言われては二の句も告げず、平成三年私は興禅寺に晋山することになる。

老師はその数年前から体調を崩されて自坊に帰られていたが、興禅寺の後継である私へ住職としての心得などを小まめに手紙で指示して下さったり、宗務上の諸手続きも自ら差配してくださっていたのである。

その後、病重篤の報せを受けて、妻と名古屋の病院へ駆け付けた。
病床へ近づくと老師は目を覚ましておられて、私の顔を見ると手を差し出してきた。思わず両手でその手を包むと、声を絞るように、
「しっかり、頼みますよ。いろいろあるだろうけど、しっかりね。」
と言われた。苦しそうな表情であった。そしてその時、私は初めて老師の涙を見てしまったのである。見てはならないものを見てしまった申し訳なさのような思いに胸が塞がり、そして私のような者に心を砕いて下さっていることに泣きたくなった。
「老師、大丈夫ですよ。ご心配なく。ご期待に応えられるように精いっぱい頑張ります。」
そんなお声掛けをするのが精一杯だった。

晋山の翌年、平成四年八月三十日、鷲見透玄老師示寂。興禅寺独住十一世。

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そして、平成十九年三月二十五日、午前九時四十二分、興禅寺は能登半島地震に被災し全壊した。倒壊した瓦礫の中から余震の合間をみて取り出したものがいくつかあった。鷲見透玄老師のお位牌とお写真を見つけ出したときは思わず涙がこみ上げて来た。
「すみません。すみません。こんなことになってしまって。」

天災は誰の所為でもないのではあろうが、私の代でお寺がなくなってしまう、そんないたたまれない思いに胸が潰されそうになっていた。
興禅寺再建への歩みを後押しし、前向きにさせたもの。そこには鷲見老師まで継承されてきたお寺の法脈へのご恩返しへの決意もあったのである。

老師亡き後、毎年山門施食会に併せて先住忌をお勤めしている。
お盆の時期になると尚更に思い出される老師との出会いと別れ。そして興禅寺再建、私自身再生への道程。それはまた、人として仏弟子として忘れてはならないものを教えてくれる日でもある。合掌




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この記事へのコメント

yoshiyoshi
2010年07月25日 12:16
アントワネットに
   いつも紛らう波斯菊   よし
花てぼ
2010年07月25日 16:22
兼好法師の「徒然草」よりも玉宗法師の「ぶろぐ草」といつも思っているのです。多くの人に読んでいただきたいですね。今に我が国三大随筆に加えて四大随筆となるかもしれませんね。
いらくさ
2010年07月25日 19:00
師匠とお呼びできる方に出遭えない
普通の町暮らしが寂しく感じられます。

4ヶ国語で寝てはいけないと書いてある
サウナで寝ている方に・・・・・
早く出て行ってくれないかな
何時来れば独りになれるかな
そんなことしか考えられなくて。
情けのない時間ばかりを
過ごしている私だと・・・・・

昨日は美術館へピーターラビットの
絵を観に行ってきました。

玉葱を
落とさないでね
しっかりね

もし師匠がいたら怒られてしまいそうな
句でも平気で書けるのも
孤立無援?の三文詩人だからこそ
許される行為でありますからして?

まぁ仕方がないか!と
自問自答したことです(笑)





市堀
2010年07月26日 07:29
 よしさま。
一句ありがとうございます。
「百日紅咽が乾いてゐたりけり  玉宗」

 花てぼさま。
玉宗ブログ草も最近ネタ切れです。装いを新たに再出発しようかとも考えているのですが・・・お褒め戴きありがとうございます。もう少し精進してみます。

 いらくささま。
私は、不肖者なのですよ。あるべき道を真っ直ぐ、余所見しないで進むことが出来ないようです。曲がり真っ直ぐというやつです。
いらくささまは、まことに独自な道を歩いておられます。天分の感性というものがあります。
私は仏の道を歩くには少し厄介な感性を持ち合わせているようです。
まぁこれも仕方がないか!と
私も自問自答したことです(笑)
湘次
2010年07月26日 08:54
おはようございます
 人生の出会いのお話ですね。
 いつも楽しみにしています。
ルプママ(ひらり)
2010年07月26日 22:10
人の為ではない、自分の中での責任感をしっかり持つことは大事ですよね。いつも逃げたくなるけど・・・。
市堀
2010年07月28日 04:58
 湘次さま。
ありがとうございます。
毎回読み応えのあるものを書くのは限界があります。これからは日を置いて記事を充実させていこうと思っています。

 ひらりさま。

コメントありがとうございます。
ご指摘の様な心構えを能登半島地震が私に与えてくれたということです。天災がなければ死ぬまで無責任な生き方をしていたのかもしれません。合掌

一道
2010年07月28日 22:08
『禅の友』八月号お盆特集を読みました。以前から玉宗さんのブログを拝読しています。
市堀
2010年07月29日 12:17
 一道さん、コメントありがとうございます。御無沙汰しています。お変わりありませんか?ブログ読んでいただいて恥じ入ります。もっと、安泰寺のことを書きたいのですが、ネタ切れです。(笑)皆さん、ご活躍ですばらしいですね。私は興禅寺再建もなり、お陰さまでなんとかぼちぼち仏飯を戴かせて貰っています。
また、紅葉の綺麗な頃、足助を訪ねてみたいです。
今後ともよろしくご教導くださいね。合掌

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