風切羽

画像


オリオンに命の果てを掲げ置く 玉宗


「風切羽」  


何度も冒険を繰り返し
いつも神様の傍にいて

恐ろしくも懐かしい
奈落のような鳥の瞳

私の手のひらは
悪戯が過ぎて

飛ぶことを許されない
貧しい風切羽

罪科のように
言葉の空しさを償い

永遠が眩しくて
手を翳すことしかできない

だから
夢を紡いで生きて来た

私の風切羽は
さよならと出合いのためだけにある

鳥よ
空を飛び交う光と影よ

その瞳に躓き易い私が映っているだろうか?
去ってゆく私は美しいだろうか?






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この記事へのコメント

yoshiyoshi
2010年11月28日 08:39
「 飴色蟷螂 」


痩せ衰えて
蟷螂死んだ
最後の希みは知らないが
不動心にも見えるのは
雄雄しく変えた飴色の
あまりに見事なその身の姿
はらはら落ちるの銀杏を被り
今にも飛びそに身体を折って
二度と伸びないままではあるが
どこまで生きても切りがないから
ここらでよかろと
蟷螂死んだ
久しぶりにも晴れた空
今朝の朝陽を見もせずに
両手の鎌を頭の上に
かざしたままで逝きました
 

飴蟷螂の書こうとしたるあいうえお  よし

 
 


市堀
2010年11月29日 19:57
 よしさま。一句と詩ありがとうございます。
いのち切ない、よしワールド。
光と影がいのちの命たる所以ですね。
大事に生きようと思います。
合掌
「枯れ尽くし蟷螂風の声聞かむ 玉宗」
みどり
2010年12月01日 16:47
 風切羽
正確には、どう解釈すればよろしいのでしょうか。
イメージ的には湧いてくるものがあるのですが、例えば宮沢賢治の「夜鷹の星」などに共通する思考です。
誰かの役に立ちたいと願いながら、最後には夜空に燃え上がっていった夜鷹でした。
切羽というのは羽根つきの時に使う羽なら、回転をよくする為に羽先を切った覚えがあります。
私の狭い想像力では、此のようなものしかありませんが、
 玉宗様が描いた世界とは違うのでしょうね。
大空には飛び立つことの出来ない、羽を切られた鳥の
思うに任せない哀しみでもあるような・・・・・
難しいです。
言い切らない言葉の奧に秘められたもの、其れを探るのは読者一人一人。
言い終わらないとサッパリしない、そんなタイプの「みどり」です。
色々教えて頂けた気持ちです。
 ありがとうございました。
市堀
2010年12月02日 11:18
みどりさま、コメントありがとうございます。種明かしです。(笑)
<何度も冒険を繰り返し
いつも神様の傍にいて
恐ろしくも懐かしい
奈落のような鳥の瞳>ここまでは「鳥」のことです。

<私の手のひらは
悪戯が過ぎて
飛ぶことを許されない
貧しい風切羽>風切羽は人間の手のひらのようなものだそうです。そこから私の手のひらと重ね合わせてみました。

<罪科のように
言葉の空しさを償い
永遠が眩しくて
手を翳すことしかできない
だから
夢を紡いで生きて来た
私の風切羽は
さよならと出合いのためだけにある>私の生きざまを唄っています。

<鳥よ
空を飛び交う光と影よ
その瞳に躓き易い私が映っているだろうか?
去ってゆく私は美しいだろうか?>
鳥の目に私はどんな風に映っているのだろうか、と、まあ、云わば、神様への甘えですね。(笑)

ポエムとして昇華しているかどうか、覚束ないものがあります。
合掌

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