冬終るしづかな海を見てゐたる 玉宗「海と私」
自分がどこへ行こうとしているのかわからなくなる
そんなとき
流れ着いたもののように
海を見にゆくことがある
何かを捨てるために
生きていかねばならない
愛憎も
悔恨も
希望も
挫折も
すべてが
いつの間に
あんなに遠い
海原
なにもかもが赦されるもののように
なにもかもが幻のように
なにもかもが叶わぬ愛のように
神様、私はいたたまれない
そこには
もう取り返しがつかないほどに
生きてしまったような私の沖がある
海は
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この記事へのコメント
一句ありがとうございます。
なんか、囚人の食事風景みたいですね。(笑)
合掌
中学生時代から10代にかけては海が大好きで湘南の海で泳いでいました。
逗子、葉山、鎌倉など場所を変えながら日焼けも気にせずに遊んでいたのですが、人生は時に苛酷です。
今の私には此方の詩の中に盛られている感情に近いものが棲みついてしまいました。
『愛憎も 悔恨も 希望も 挫折もーーー』
それでも、此れらが既に遠いもの、遙かにあったものと思い切れない感情があります。
平々凡々の人生と弁えながら、なかなか心静かに暮らせません。
いつの日にか、再び海に対峙しようと心に誓っているのですが、逃れることの出来ない幻影に惑わされ、決断できないのです。
海も山も、私には極めて畏れ多い場所なのです。
コメントありがとうございます。
女性にとって「海」ってどうなんでしょうね。
「海には母が隠されている」と云った詩人がいたようですが、これもマザコン男のロマンなのでしょうね。
海に囲まれている日本人ですから、魂の深いところに沈潜しているのかもしれません。
明るい海光に包まれますように。
合掌