方便とは何か?
われも又いづれは里の朧月 玉宗
日本の首相を務めた方が「方便」という言葉で墓穴を掘っている。私が考えるに「嘘も方便」と「嘘は方便」は異なるであろうし、本来「嘘も方便」は、「も」がこの言葉の命であるかもしれないのではないか。
方便は仏教用語であり、悟りへ近づく方法、あるいは悟りに近づかせる方法のことである。「方便」はサンスクリットのウパーヤの漢語訳であり、「接近」「到達」「手段」「方策」などが元々の意味であるという。仏教用語としてのウパーヤの「近づくべき目標」は、最初の意味としては、仏あるいは悟りであることは言うを俟たない。
原始仏典に見られる逸話 「キサーゴータミーの譬喩」には、釈迦が、我が子を亡くしたキサーゴータミーという女性に対して、「死者を出したことの無い家からカラシの種をもらってきたら、その子が生き返る薬を作ってあげよう」と言う場面があり、キサーゴータミーは家々を回り、どの家にも生老病死というものがあることを知って、釈迦の弟子となっとされている。
また「アングリマーラ経」には、難産で苦しむ妊婦を勇気づけるために、釈迦が、出家以前は殺人鬼であった弟子アングリマーラに対して、「女人よ、私は、聖なる生を得てからこのかた、故意に生きるものの生命を奪ったという覚えがない。その真実によって、あなたに安らぎが、胎児に安らぎがあるように」と言うように命じる場面がある。妊婦はその言葉を聞いて苦痛を和らげることができたという。
上記の逸話はいづれも、釈尊が場合に応じ、「真相」へ「近づける」為に方便を用いていたことを表している。「真相」とは何か?仏教にとってそれは「救いとなるべき実相」であろう。
「方便現涅槃」という経文の一節がある。「方便して涅槃を現ず」。「涅槃・悟」へ至らしめんが為に「方便」を用いるというもの。釈尊が涅槃を示されたことにより、私は命の有限であることを悟ると共に、如来の寿量が無辺であること、私が如何に煩悩まみれであるかをも知らしめている。
世相においては「実相」とは「正義」ということになるのだろうか。政治に於ける「正義」に「近づかせる」為に「方便」を用いたというのであろうか。「正義」が時と共に変遷するものであることをご当人は認識しておられたのだろうか?まして、人によってそれぞれの「正義」があって然るべきだとでも考えておられたのだろうか?
「方便」が「嘘」であるかどうか。「方便」という「嘘」に担保されるべき「実相」があるかどうか。
「方便現涅槃」は「方便して涅槃を現ず」とも、「方便は涅槃を現ず」とも読めるのではないか。「方便」が「単なる嘘」となり当事者を更に惑わすことになるかどうか。「も」として赦されるべき「実相」へ導いてくれるものであるかどうか。
その責任と無責任の所在は、政治家だけが糾弾される問題でもないのではないか。まして、放言して済まされる問題でないことは言うまでもないと思われる。
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この記事へのコメント
まぁ賢い人は政治家なんかにゃなりません
坊主になりまっす、誉め殺し、(笑)
一句ありがとうございます。
「鳩だけに語るに落ちる山椿」座布団一枚!
あの人、冗談でしょう、と思うくらい頭悪いんじゃない!と思うことが多々ありますね。
まさに、宇宙人ですが、国民は笑って済ませないと思うのですが。といいながら笑っている自分って、どうなんだろうと、不思議なスパイラルに陥りますね。(笑)
合掌