可能性に生きる・人はどこで成仏するのか?!

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半日を棒に振つたる目借時 玉宗


復興、再生の日々を送っている被災者を思うと、能登半島地震に遭った後の、仏弟子としてのわが歩みを回想させられる。
私は被災しお寺を無くして再建の道を歩んだが、、しみじみ痛感させられたことは、「一体お寺とはだれのものなのだろうか? お寺とは何なのだろうか?」ということであり、それはまた「仏弟子とはなんだろうか?私とは何ものなのだろうか?」という自問へと向かっていった。そして永平寺を後にして京都の在家の屋敷で静養されていた道元さまの最後の逸話が私の脳裏に蘇ったのである。

道元さまは臨終近くの床から起き上がり、座敷の柱に法華経の一文を墨書された。それは妙法蓮華経神力品という中にある次の一節であった。

「よくよく心得なさい。此の処が即ち道場なのです。諸仏祖師方はみな此処で悟り、此処で法を説き、此処で涅槃に
入られたのです。云々」

お経には「此の処」とあるのみで、永平寺とも、何とか寺とも具体的には示されていない。「此の処」とはどこだろう?

道元さまは五十四年のご生涯を「行」によって生き抜かれた。病の身となり、永平寺という修行道場を去らなければならなかったときのご無念とは如何ばかりであったことか。縁にしたがい峠を越えて京都へ戻り、最後の身を養っていた小さな在家信者の屋敷を「道場」であるとお示しになられたのだ。病の身を養うことも「行」であり、「此の処」とはまさに「行」が現成しているところなのだと、、、、
「道場」という「かたち」が先にあるのではなく、「行」の現成する「此の処」が「道場」としての本質を備えているということ。それが自己の正体であり、「今」という成仏の可能性に生きることにほかならないのだということ。

被災者もまた再生への新しい人生を創造するという成仏の方向性があるのだと思う。そしてその「行」のかたち、それは人様々であり、様々でなければならない。

「お寺」をなくしたということは私にとっても檀家にとっても「行」の場を一つなくしたということだったが、しかしそれは在ったものが無くなったということであって、「行」の本質が無意味になった訳ではなかった。
「此の処」に指定席などありはせず、「行」のなっているところが又「今」の様子でもあり、「成仏」なのであり、それはとりもなおさず、私という何ものかの正体でもあるのだということ。この可能性に生きる現成以外のどこにも私の正体も、救いも、創造も、人生も、生死も、存在の意義もないのだということ。

生きること、それは「縁」という可能性を信じることにほかならなかった。

「托鉢」という「このところ・今・行」に生きる私がそこにあった。小さな「お寺」であるが、行く先々がわがお寺でもあるという確信。多くのご縁に手を合わせながらこれからもどこかを歩いていくことだろうと誓ったことだった。








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この記事へのコメント

湘次
2011年04月22日 08:28
おはようございます
 生きているときも成仏のこころになっているといいですね。
日守
2011年04月22日 10:44
合掌
御勤めご苦労様です。
私の宗派のある寺院では「唱題行」の行で、一連の流れの中で最初に道場偈を唱えます。神力品の中から「まさに知るべし、このところは、すなわちこれ道場なり。 諸仏ここにおいて三菩提を得、諸仏ここにおいて法輪を転じ、諸仏ここにおいて般涅槃したもう。」です。 ちなみに「唱題行」の前後には「浄心行」と「深信行」の座禅を行ないますが、この場合は正座です。 私は在家ですが「行」を行なう場所はどこであろうと、たとえ心の中であろうともそこが道場なのでは?と認識しているのですがどうなんでしょうか。   再拝
yoshiyoshi
2011年04月22日 11:37
堅香子や一千年の花の色   よし
市堀
2011年04月23日 12:21
 湘次さま。
衆生本来仏なりと古来から云われていますが、本来の顛末を知らぬ人生を送っているような私です。
 
 日守さま。
ご丁寧なコメントありがとうございます。
直心是道場とも云われていますね。
ご精進のご様子、なによりと存じます。
ご清寧を祈ります。合掌

 よしさま。
堅香子の花だよりが聞けるころになったのですね。
人類、ん千年、どんな花を咲かせているのでしょうか?

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