大乗寺・新盆の思い出

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夏安居の彼方はなべて廓の灯 玉宗


金沢市は新盆である。大乗寺山、野田山にはお墓が群を成しており、それぞれ霊園墓地として整備されている。私が安居していた昭和五十年代は板橋興宗禅師が住職をしておられ、境内に接する墓地も又、老師の指示によって整備され始めていた。七月に入ると間もなく、山内は「墓作務」に精を出す日々が続く。大衆さんの数も少なかったので墓掃除の人夫さんを頼んでいた。お地蔵さんの赤い前掛けもどなたかが新調してくださる。私はその新しい前掛けをお地蔵さんに掛け替える役目を買って出ては過酷な墓掃除作務を少しでも逃れようとしたりしていた。

大乗寺ではお盆の棚経はなく、専らお墓でのお勤めをした。三日間、朝から晩まで、墓地の一角を陣取ってテントを張り、お墓参りにくる人からの声掛けを待つのである。お墓でお経を挙げ先祖へ回向する。一つのお墓に何度もお勤めをすることもある。親戚筋の方々が銘々お参りの都度、お坊さんにお経を挙げて貰うのである。炎天下でのお勤めは結構きついものがあったが、大乗寺の境内は樹木が多く、木陰も又多い方だろう。

夕方になると墓前に飾られたキリコと呼ばれる灯篭に灯が入る。日が落ちてからお墓参りする人もあり、キリコと蝋燭の明かりの前でお経を挙げていた。大悲心陀羅尼というお経をを日に何回となく誦むのだが、若気の至りで、大悲心陀羅尼にも飽きてしまい、頼まれもしないのに瑞応寺僧堂で覚えたご詠歌を一節唱えたりして一人悦に入っていた。

独身でもあり雲水としての僧堂生活は自己確立の生き方だという思いが濃厚であった当時の私には、お盆のお墓参りでそれなりに人様のお役に立ち、社会に関わっているのが新鮮でもあった。そして何故か少し淋しい思いもあった。

参拝者からの声も掛らなくなると真っ暗になった参道を腹を空かせて戻った。典座寮の板の間で遅めの薬石を戴いていると、住職である板橋禅師が入ってきた。

「ご苦労さん。どうだ、西瓜でも食べないか?!」

「いただきま~す」

見ると、禅師は大衆と車座になり胡坐座りをし、西瓜にかぶりついた。その生々しいこと!決して上品という召し上がり方ではなかった。よく見る、あの食べ方である。

「わしは西瓜に目がないんだ。西瓜はこうやってかぶりつくのが一番!玉宗さん、カッコつけていないで食べなさい」

「・・・・・・・」

何故か泣きたくなったことを覚えている。家族というものを捨てた自分が、今はお坊さんという不思議な世界の仲間入りをしているのだなあ、という思いが込み上げてきたのである。
そのような思いと共に、大乗寺でのお盆は、好物の西瓜にかぶりついていたカッコつけない禅師様の姿が忘れられない。









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この記事へのコメント

2011年07月13日 18:09
道を這う小鳥よろよろ夏深し  よし
2011年07月13日 21:40
玉宗さまはよく、「家族を捨てた、故郷を捨てた」と仰って、自分を責めたようなことを仰います。そのたびにこちらまで切ないようなもの哀しいような気持ちになります。お坊さんになるということは、本当に本心から「親を、あるいは故郷を捨てる」という感覚にならなければならないのですか?いいえ、そうではない、一層その反対の思いを募らせるものなのだろうと思っていますが。
日守
2011年07月14日 16:14
合掌
御勤めご苦労様です。
「知恩報恩」という言葉が御座います。
私は、出家することが最大の報恩であり親孝行でもあると学んでおります。
在家から出家なされ、仏弟子となされておられる御住職様は御両親様にこれ以上ない孝行をなされておられのではないでしょうか。
できうるなら私自身もそうありたいと願っております。     再拝
市堀
2011年07月15日 21:00
 皆様、コメントありがとうございます。
どうも、卑屈になる癖があるようですね。
出家が尊いことである思いに変わりないのですが、時々自信喪失というか、親の恩にも仏の恩にも報いていないのではないかという自責の念が過ります。
死ぬまで修行しなければならない所以でもあります。
激励、ありがとうございます。
合掌

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