福は内、鬼は外についてのこころ
節分の豆が足りないまあいいか 玉宗
寒行托鉢も昨日の節分で無事終了。ご心配いただいた方、激励して頂いた方々には改めてお礼申し上げる。
さて、日本各地の有名な寺社仏閣では大勢の参拝者で賑わう節分の豆まきであるが、托鉢が終わった自坊では夜に本堂でお経を上げ、寺族だけの豆まきをしている。本来各家庭でしていた習わしではなかったのだろうか。まあ、いずれにしても春を呼ぶ行持の魁ではあろう。
ところで、部屋に戻って豆をぽりぽり齧りながら夫人とちょっとした「豆まき論争」になった。夫人が言うには「福は内、鬼は外」の掛け声は「家の中の福を内に留まらせ、家の中の鬼を外へ追い出す」意味なのだという。それは私にとって意外な見解であったので驚いたことである。
「えっ、なにそれ。そうじゃねえべよ。外の鬼が入ってこないように、窓を開けて外に向かって豆をなげているんだろ?!」
「それじゃ、お父さんは内の福を外へなげだしているようなもんじゃない?!」
「いやいや、豆を投げつけているのはあくまでも、鬼であって、外に向かって福は内ってえのは、外の福が入って来ることを邪魔する鬼を退治しているんだよ。家の中の福はそのまま内にいてもらって言い訳だし・・・・」
「なに、それ・・なんかおかしい。」
「まあ、内の中にも確かに鬼はいるけどね。じゃったら、わしに言わせたら、豆は人間に投げなければならんね。お前の鬼を退治してあげようか?」
「また、小難しい屁理屈がはじまったし・・・」
「なに?!まあ、黙って年の数だけ豆でも喰うっていればいいんだよ、お互いに。それにしても57粒ってのは結構食えないもんだんね。なんか、気持ち悪くなってきたし・・・」
「・・・・一度に食べなくてもいいのに、まったく。お父さんには餓鬼がとりついているようね」
「・・・・」
というような次第で、豆で膨らんだお腹を横たえながら、節分の夜は更けていったのでありました。
「けふからは」
来た道を拝み寒念仏終る
冬終るしづかな海を見てゐたり
頭陀袋空つぽにして冬終る
雑炊のどこか端折つてゐるごとし
けふからはただの鴉よ寒の明け
けふからは残る寒さとなりにけり
能登はなほ余寒といふも憚れて
節分の豆が足りないまあいいか
豆撒きや夜の中にも闇があり
窓を開け憚りながら鬼は外
福は内いつもの父と違ふ声
逃げまどふ母の背中へ年の豆
寒木瓜や日が恋しうてならぬなり
寒木瓜の先づ咲いてみる枝の先
冬の月見るためにだけ庭に立つ
山茶花の散るにまかせて咲きにけり
笹鳴きの鳴き交はしつゝ日をこぼし
節分の鬼を頼まれゐたりけり
目を瞑り耳を澄まして春を待つ
怖ろしき闇へなげ打つ年の豆
衰えの歯を宥めつゝ年の豆
海鼠さへ遊びせむとや出て歩く
ランキング応援クリック
この記事へのコメント
圓に満ちて めでたかりける