十五夜の思い出
十五夜の母が小さくねまりをり 玉宗
昨日は仲秋の名月。今年は夕刻六時には輪島の東の山の端に大きな月が出ていた。笑ってしまいたくなるような、まん丸いお月さま、という感じ。
十五夜といえば思い出すことがある。
亡くなった私の実母は漁師の妻であったが、その暮らしぶりは半農半漁と言ってよいもので、浜仕事の他に、畑で馬鈴薯や玉蜀黍をはじめ多くの野菜を一人で作っていた。海沿いの家から二,三キロ山へ入ったところに畑はあった。畑へ続く道の様子は五十歳を過ぎた今でも鮮明に覚えている。妹と二人で畑仕事をしている母を迎えに行ったし、ときどき母の手伝いをしていた。夕暮時を母と一緒にリヤカーを引きながら帰って来る映像が脳裏に焼き付いている。
母はよく働いた人間だと思う。女学校を出ていたらしいが、どんな縁か漁師の妻となり、一生を過ごした。負けず嫌いなところもあったのだろう。人様にも家族にも弱音を吐くことがなかった。節くれ立ち曲がった指、爪にはいつも土が挟まっていた記憶がある。その手は既に女の手ではなかった。人並な生活をさせようと苦労していた父や母の姿が私の血肉になっているようなところがある。私の手は母に似ている。
そんな母が、貧しいながらも十五夜を始め盆正月は勿論の事、節句の行事を欠かすことなく、家族に振る舞っていたことに今更ながら驚き、その真心に泣きたくなる。それらは家族の為とは言え、自然と共に生きる人間の素朴な、感謝と祈りの為せるところではあるが、子供であった私は親の苦労も解せず、節句の御馳走を頬張る幸せの中にいたのである。
十五夜になると海へ向かっている二階の窓辺に芒を飾り、蒸かし饅頭や枝豆、玉蜀黍、薩摩芋、栗などを供えていた。それは父の役目であった。部屋の灯りを消して沖に登る月と真向かい柏手をうった。父の逞しくも優しい柏手の音を覚えている。下の方から母の呼ぶ声がする。お供え物を持って降りてきなさいと言うのである。父や母と一緒にお供え物を食べた悦びと、家族の幸いを祝福するような月夜の静けさが忘れられない。
「十五夜」
十五夜の母が小さくねまりをり
月愛づる妻や胡乱に膝崩し
捨てられてまあるい月を見てゐたる
水引の花といふには覚束な
名も知らぬ小鳥が庭に来てをりぬ
雨過ぎて用あるごとく石たゝき
虫籠の中の荒野に寝落ちけり
渡り来る鳥に破れし山河あり
嬰児に獣の匂ひ星月夜
そこにある月ほど遠きものもなく
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この記事へのコメント
能登、いいですね。あこがれます。一度輪島に行きましたが、観光の急ぎ旅でした。また行って見たい。能登島など。辺鄙なところほど好きな性分です。