永福寺大般若経転読祈祷法要
門前の小僧雀蛤に 玉宗
昨日午後二時より永福寺観音祭・大般若経転読祈祷法要を修行した。
永福寺の三尊仏に関しては次のような由緒が伝えられている
鳳来山永福寺移転統合百年略史
一、旧鳳来堂由緒
およそ千二百五十年前、即ち人皇四十六代孝謙天皇の天平勝寶七年、泰澄大師能登国御巡教の際、異僧の御告げにより阿弥陀如来を石刻し、念持佛の由緒深き如意輪観世音菩薩と共に大屋の庄横川の地(現輪島市鳳至住吉神社北辺)に一宇を創立し、諸佛を安置し鳳来山誓願寺と号す。
それより八百二十年間余り真言律院として法燈を続照せり。
御佛の霊験日々新たにして遠近の道俗、祈願佛として順礼祈願者多く、時の領主長谷部信連帰依ありて祈願寺として七堂伽藍装備の大寺院たりしが、正新町天皇の天正年間、騒乱の際不幸にも火災に罹り一山尽く、諸記録等悉く烏有に帰し只御佛のみ残り給えり。
其の後、再興を発願するものなく三百年余り廃絶の悲運に沈淪し只仏像のみ民間にて守護し来るに過ぎざるしを以て、光明天皇の安政年間に至り、信者相謀りて鳳来山麓荒蕪の地三百歩を開拓して、明治六年漸く一宇を建て、遷座奉安供養を厳修し、明治八年五月二十三日鳳来堂と命名せしも只雨露を凌ぐのみの粗屋なり。
二、旧永福寺由緒
旧永福寺は曹洞宗大本山総持寺五院の一なる傳法庵の門中塔司寺なり。
開山可屋良悦禅師。其の後世代十二世を経、徳川幕末に五院廃寺とせられたる時、多くの塔司寺も殆んど廃寺となりしも、該寺は本山門中直末寺に編入せられ来たり。明治三年妙応寺住職百衲玄秀和尚十三代目として継承し法地開闢す。輪島町鳳至の阿弥陀仏堂へ寺籍を移籍する迄、即ち明治四十一年迄、実に文明十二年の開闢より凡そ四百二十年余り本山の膝元に在て御霊塔に奉仕し来たりし古刹なり。
三、永福寺鳳来堂移転統合記
鳳来堂はその昔、誓願寺の本尊佛を守護し来たり。安置堂は小宇なりとも霊験明らかなること近郷の民草広大なる慈恩に浴せざる者なかりしが誓願寺廃絶後誰一人再興を発願するものなし。
降りて中御門天皇の享保三年戍戊(一七一八年)六体の地蔵尊を石に刻して本尊佛脇立として三昧摩地に安置せり 孝明天皇の安政年間に至り信者相謀りて鳳来山東北の麓荒蕪の地三百歩を開拓して明治六年漸く一宇を建立し誓願寺の遺佛を奉安し(明治八年五月二十三日)鳳来堂と名付け朝夕之を供養せり。亦、如意輪観世音菩薩は誓願寺廃絶後住吉明神の社境に於いて一時崇め奉り、当国三十番札所として順礼道者巡拝せり
年降りて住吉の小堂も朽ち果て、時の肝煎真酒屋清左エ門に預け置きしに、当地に種々怪しき災変あり 御郡奉行村井安左エ門なる人 妖は徳に勝たず邪を拒くに善を為すに如かず 此処に霊威の神仏あらんやと 依って人々予ねて承り伝えし御仏の事を申し 直に只今鳳来山公園に所在する観音堂を建立し安置し奉るに 不思議なるかな変災たちどころに鎮まり霊験昔日に異ならず 此れ享保十六年の事なり
明治六年に至り信者等の協力により一堂を建立す。
然れども単なる御堂にして寺号なきを憂い 茲に請願寺復興の念漸く厚く、依って明治十七年八月二十五日堂宇据居許可を出願せり 時の県令より下附せられて同日より阿弥陀佛堂と公称せり
同四十年一月再び寺号移籍を大本山総持寺へ請願す 同年十一月二日付廃合御添書を得て地方丁へ出願 茲に多年の懸案許可せらる
明治四十一年五月一日移転認可を得る。旧永福寺は本山膝下を離れ山内寺院の格を解かれ、大本山総持寺直末となる
多年の念願たる移転問題も幾多の困難を経て現在地に法憧を建て復興の宿志を貫徹するに至りしは佛の霊験に依り佛慈加護を得たる雖も信徒等の努力も無形ならず、日夜寝食を忘れ釈尊一茎草を念じて梵刹を建立するの漢 黒夜に寥々たる星を見るより明らかに 真に其の功労偉大と云わざるべけんや 昭和八年九月九日謹書 永福六世孝之
「大般若転読祈祷法要香語」
法輪楼閣対朝陽
檀信詵詵般若場
二八善神臨鑑處
摩尼転転菊花芳
露
六百金文無罣礙
三千世界放圓光
爾来、永福寺は祈祷寺、願寺としての帰依を得て今日に至っていると云ってよい。
宗門の祈祷は大般若祈祷が基本であり、いのち丸ごと般若の知恵であることに目覚め、欲望の彼岸に安心を決定するというのが本筋である。煩悩の満足と云った地平での自己満足をこえたところへ開示悟入するというのが僧としての一大事因縁であると心得ている。
欲望を誘惑して迷いを重ねるが如き筋合いのものであってはならない。私は占い師でもなければ陰陽師でもない。諸行無常のいのち生きている全うな人間であって一向に差し支えないと受け止めている仏弟子に過ぎない。那辺は参拝者にも法話で諭したつもりであるが、さて、中々解ってもらえていないのが実際のところか。
誤魔化しの利かない諸行無常の世界を照顧しての祈りであり、願い事なのであると言う事。有為転変に一喜一憂せず、生き方に於いて一本ぶれない筋が通った、いのちの戴き方を学んでいるということだ。
「秋寒」
まあ金もないことはないそぞろ寒
釣り銭を握つて帰る夜寒かな
冷まじや石と化したる無縁仏
男の手握ればいよゝ肌寒く
身に入むやてのひらにある幾山河
弁当が右へ傾きうそ寒し
朝寒の襦袢を纏ふ別れかな
秋寂ぶく朝粥に眉濡らしけり
遙けくも石や碑となる秋の風
絶望も中途半端に秋寒く
「十三夜」
漂流す栗名月のあかるさに
人類も絶滅危惧種秋の暮
きつかけは母が眠れる草の花
冷まじや波の音する固枕
夜遊び猫と栗名月を分かち合ふ
詩に餓えてお螻蛄の鳴くを待ちゐたり
終ひ湯の妻の音して星月夜
色鳥や虹が零れて来たるかと
みそ汁の蛤キュッと雀鳴き
門前の小僧雀蛤に
光陰の覚束なくて吊るし柿
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