灰燼に帰したる安堵・黒田杏子の世界
山茶花のまだ色持たぬ空の色 玉宗
「件」22号が送られて来た。今回も盛りだくさんの内容で読みごたえがあった。
目次を挙げる。
第8回 さろん・ど・くだん
ロバート・キャンベラさんとの夕べ
大人の修学旅行 飯田秀實
オツドリ考 横澤放川
灰燼に帰したる安堵 黒田杏子
山陰石楠俳句アンソロジー「太虚」を読む
山下知津子
橋本栄治
<俳句作品>
酒事に 榎本好宏
噴火口 高野ムツオ
クロワッサン 西村和子
<エッセイ>
検札 櫂 未知子
<評論>
太宰治散策(17) 仁平 勝
冊子の中の向田邦子(2) 橋本榮治
初鶴 星野高士
「悲しみ」について 細谷喨々
第8回となる「さろん・ど・くだん」は東京大学大学院教授・ロバート・キャンベル氏の講演記録が載っていた。
講演は「苦楽の日本文学再見」という題。日本独特と捉えてよい「苦楽観」から近世から近代の日本文化史、文学史、思想史、美術史を見渡そうという試みの一端を披歴している。興味深い内容ではあったが、今回の「件」誌上で私がもっとも注目したのは「件」のメンバーの一人である俳人・黒田杏子氏の寄稿文である。
黒田杏子氏が季語の現場に自ら足を運び作品をものにしている事は周知のことである。それは全国各地に及んでいるのだろう。今回紹介された一遍上人所縁の伊予寶巖寺もまた氏の俳諧遊行の途上で巡り合ったご縁のお寺である。その寶巖寺が今夏火災に遭い、本堂を全焼してしまった。境内には氏の句碑「稲光一遍上人徒跣」も建てられている。住職とも長いお付き合いのようである。
そんなお寺が焼失してのである。
近刊の主宰誌「藍生」の後記に氏は以下のような文章を載せている。
「八月十日、満七十五歳の誕生祝の会から帰宅しますと、松山の留守電。一遍上人誕生寺寶巖寺本堂炎上焼失の報。若き日、(稲光一遍上人徒跣)の一句を捧げたご尊像もことごとく灰燼に帰したとのこと。はじめて寶巖寺に伺い、ひとりお厨子の内の立像の美しさに涙ぐんだ日のことがよみがえります。中略
毎年必ず私は一遍忌・一遍像・一遍誕生寺の句を詠みついで力を頂いてきました。松山に行けば、一遍さんにお詣りをして、お加護を賜ってきたのです。こののちは、一遍さんの教えを実践、俳句人生を全うせよとの啓示と受け止めます。(杏子)」
氏は年内刊行予定の第六句集『銀河山河』(角川学芸出版)に次の八句を収めた。
深秋や上人坂に人の満ち
法然絵巻一遍絵巻花盡きぬ
空也一遍遊行女婦去年今年
花に問へ私に問へ花に問へ
(「花に問へ」は一遍の法語)
世の名残遊行の名残菖蒲葺く
八月十日一遍誕生寺炎上
一遍七百二十五回忌寶巖寺
灰燼に帰したる安堵一遍忌
私が瞎目したのは「灰燼に帰したる安堵」という言葉。「灰燼に帰す」ことを「安堵」と受け止めている氏の心根の深さに思い至ったことである。氏は蛇笏賞も受賞している俳句界の重鎮と言ってもよい。重鎮と言えば如何にも重苦しい人柄を想像するのが一般であろうが、氏にはそのようなこだわりが絶えて感じられない。少なくとも私が何度か接した折の氏にはこちらが戸惑うばかりの拘りのなさ、広やかさが輝いている。一方には自らの俳句実作の現場では余人の干渉を受け付けない厳しさ、ストイックさを兼ね備えているように見える。
「生ぜしも独りなり。死するも独りなり。されば人と住するも独りなり」(一遍遺訓)
無一物こそが究極の安堵であるとは、どこまでも氏の俳句に生きる志を言っているのであろう。一遍がそうであったように、氏も又、「一筋の道」にしか生きられない自己であることを知悉しているのである。なればこその広やかさであり、なればこその拘りの無さであり、なればこその自己克己なのである。「俳句」という「方便」「独りの行」「灰燼に帰す捨身行」に救われている黒田杏子の良心がここにあると言ってよい。
(一遍会ニュース)
http://home.e-catv.ne.jp/miyoshik/ippen/hot.htm
再生への旅・「黒田杏子先生」2009/12/01
http://72463743.at.webry.info/200912/article_1.html
」
http://72463743.at.webry.info/200909/article_19.html
「冬空」
帰り花まなこ汚れてゐたりけり
侘助や絶えて訪ふひともなく
月の戸の固く閉ざせる寒さかな
死の家の裏へ廻れば花八手
虚空なほ暮れてゆくなり雪婆
淋しらの空に火の色冬椿
うすずみの空にほころびお茶の花
隙間風裸の巨人走りけり
泣き寝入りするほかはなき寒さかな
たゝなはる山に眠りの深さあり
蜜柑喰ふほかは用事のなかりけり
担がれて忘年会の父帰る
どさくさに紛れてゐたる着ぶくれて
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