11月のむなしさ
綿虫来消えてなくなるやうにして 玉宗
峠見ゆ十一月のむなしさに 細見綾子
正直なところ、この句を初めて知ったとき、十一月がむなしいとは意外なことであった。言われてみれば、十一月ってはっきりしないところがなくもない。中途半端という言葉で評されることもある。冬になりきっているわけでもなく、晩秋という過ぎ去って行くうしろ姿の景色があるばかり。そんな面持ちで峠を見るというのである。というか、峠が見えている。越えなければならない峠が見えていることが希望ではなく、むなしいということなのか。
この句は細見綾子の比較的初期の句ではなかっただろうか。
若き頃に長らく病気療養を余儀なくされた綾子。彼女の作品は一見自然体で、おおらかで、童心の眼差しを感じさせる。しかし、というか、だからこそなのか、表現者としての精神、写生の誠といったものは容赦ないところがる。その写生眼はリアリズムに徹しているのではないか。
氏の言葉で忘れられないものがいくつかある。その一つに、
「リアリズムは決して冷たいものではありません」
現実はつめたいものではない、が、生温かいものでもない。甘くも辛くもない。あるがままであると言いたかったのではないのかと私は思っている。自然態で生きた細見綾子。ここには、境涯を受け入れて生きる人間のおだやかさがあり、そんなこころにひろがる、あかるい十一月のむなしさがあるのではないかな。そんな人間の眼差しが捉えている峠。越えなければならない峠だろうか。越えて来た峠だろうか。どちらにしても、それはほとんど祈りに近い。
夫である沢木欣一の命日は奇しくも11月6日である。
枯れてゆく地のあかるさを欣一忌 玉宗
「味」
秋惜しむ味はひ深き顔をして
もみづるや色褪せてゆく人生に
松茸の晴れがましさを味はへる
去りがての雨ややつれなき龍田姫
浅漬や一夜限りの味すなり
夕日さす十一月の畳かな
鱲子の見たこともなき味がして
芋煮会ほろほろ舌を転がして
念仏の味とも能登の十夜粥
秋蝶やそれどころではないやうに
新蕎麦と言はれてみればそんな味
きりたんぽ鬼が浚ひに来ぬうちに
露けしや酸いも甘いも味はうて
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