再生への旅

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zoom RSS 私は生産的ではありません?!

<<   作成日時 : 2018/08/30 04:53   >>

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能登沖に投網の雲や実はまなす 玉宗

さて、能登の残暑も処暑を過ぎたころから峠を越えた感がある。
雨模様が続いている昨日今日。一雨ごとに秋めいていく気配が漂って、例年になくめくるめく暑さの日々であった八月も尽きんとしている。輪島ではぽつぽつと早稲の稲刈りが始まっている。この間田植えをしたばかりだというのに、早や稲刈りか、といった感慨が沸く。一粒の米が一年の人間の腹を満たして余りあるというのだから、思えば稲とは凄いものだ。まあ、こうなるのには人類の汗水を厭わなかった悪戦苦闘、試行錯誤の賜物なのではある。

生産性というものが疎かならぬものであるのが社会。
因みに生産性とは、

経済学で生産活動に対する生産要素(労働・資本など)の寄与度、あるいは、資源から付加価値を産み出す際の効率の程度のことを指す。生産性はより少ない労力と投入物(インプット)でより多くの価値(アウトプット)を産みたいという人間の考えから生まれてきた概念である。リソースとリターンの関係性とも理解される。
生産性=アウトプット/インプット より少ないインプットからより多いアウトプットが得られるほど、より生産性が高いという関係にあることがわかる。云々(ウィキペディアフリー百科事典より)



そんな中にあって、私が蠢いている俳句やお坊さんの世界とは如何にも非生産的なものではある。俳諧や念仏や鰯の頭や不立文字の説教が今日の腹を満たすことを真に受ける人は多くはなかろう。

しかし、それらは満たされている今のいのちの様子に目覚めることを潔しとするのであって、社会性を無視せよと言っているのではない。わが命の知足の法、実相を以て世に往還し、寄り添うことを期しているにほかならない。その実践にほかならない。生産性や競争の中で落ちこぼれ、苛まれる私がいないか。そのような危うい人間性の芯を育て、諸行無常の人生にぶれない脚力、腕力、知恵を養うこと。それこそが宗教や文芸の守備範囲、存在意義ではなかろうかと思っている次第。世の生産性を越えている所以である。



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「稲」

稲の香も熟れて年貢の納めどき

早稲刈るや悪い奴らの来る前に

暇さうな烏と稲を刈る女

溺れたる雀飛び出す稲穂波

山里や稲穂に露の宿るころ

浦風に楯となしたる稲架襖

デートには願つてもなき稲架日和

稲雀鎮守の森へ一目散

ふるさとの露の甘さや稲の秋

日を孕み月を孕みし稲穂かな





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「大名二十句」

偶に来る健気な鳥を威しけり

八月を大名暮らし寺参り

總持寺の寺領に老いて鳴子守

殿も驚く母のおゐどや豆を引く

ばら撒くや大判小判稲雀

過去帳に僧の名一人蕎麦の花

大奥に深入りしたる竈馬かな

豆稲架や借金取りの来るころの

火を生みし石のにほひや蛇穴に

越後屋の夜風鬼の子ゆれゐたる

山里は後の村雨初紅葉

老中の糸瓜の水を引くことに

手を打つに少し間のある添水かな

花野ゆく大名行列見え隠れ

足軽を励ます雁の渡りかな

沖開け松前藩の烏賊襖

已むに已まれずつくつく法師腹を切る

とぼし立つ市中引き回しの果てに

岡つ引きに声掛けらるゝ秋思かな

脇差を質に入れては砧打つ




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「破調」

破調なる風にばさつく芭蕉かな

花煙草放蕩息子帰る日の

稼ぎにもならぬ宗祇の忌なりけり

常闇にぬるりと花の茗荷かな

小流れに打たれ通しやしだれ萩

嫁も貰はず自然薯掘りに名を馳せて

新松子きれいさつぱり空があり

韮の花大事なものを見逃して

鬼の子の寝返り月のさゆれかな

葉隠れの月に眠れる葛の花













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