再生への旅

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zoom RSS 今日の生死一如・実母のことなど

<<   作成日時 : 2018/09/18 06:30   >>

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死ぬる世に目にものみせて唐辛子 玉宗


所要があって北海道から除籍謄本を取り寄せた。
迂闊にも女四人男二人の六人姉弟かと思い込んでいたのだが、私は次男坊ではなく四男になっていた。二つ違いの兄が三男。私の生まれる以前に二人の兄が早世していたことになる。同様に長女だと思っていた一回り上の姉は二女であった。これもやはり姉が生まれる以前に亡くなっていたことになる。もしかしたら水子であったのかもしれない。除籍では解らなかった。実の母は亡くなって二十年を過ぎている。生前に聞くこともなかったし、本人の口から聞いたこともない。

六人兄弟ではなく男四人、女五人の九人兄弟になる可能性もあったのだ。いずれにしても九人の子供を産んだには間違いない。実母はそんなに大きな体の持ち主ではなかった。どちらかと言えば小柄な、働き者で、性格的には負けず嫌いな方だっただろう。
子どもを三人も早世させた母親であったことに少なからず驚いたし、なんだか哀れでもある。母にはそんな翳など微塵もなかった。然し、それは私が単に見逃していただけのことかもしれない。私の知らないところで母は泣いていたのには違いないのだとこの年になって確信もするのである。

そんな母親が生き残った次男坊に掛けた期待とはどんなものだったのだろうかと思う。生涯を寄り添う事をせず、二十歳過ぎてほどなく故郷と親を捨てて出家したことを思えば、母の落胆は如何ほどのものであっただろうかと思わずにはいられない。十年前に亡くなった兄も家を継ぐことはなかったのである。

私が故郷を出ると伝えた折の母の姿を忘れられないでいる。子供の自立を後押しするのに吝かではなかったであろうが、仕事の手を休めないで私の話を聞いていた母がいつもより、小さく淋しそうに見えた。
その数年後、本州へ出た私と姉を頼って両親は故郷を出た。姉夫婦と私と他郷で曲がりなりにも家族揃って暮らす日々が数年続いたわけであるが、私は結局出家することになり、父と母はまたもやわが子と離れなければならないことになる。

得度式には二人そろって出席してくれた。精一杯に着飾ってはいたが、母は以前にもまして小さくなり、淋しげではあったが、然し、どこか安堵した表情も窺えた。流石に出家した以上は人生に迷うこともなかろうと悟ったのかもしれない。然し、本当のところはどんな思いであったのかわからない。自分の腹を痛めた子がお坊さんの道を選んだことを誇りと思ったのか、恥ずかしいことだと感じたのか、いずれにしても、結果的に自分のやりたい放題に生きて来た自分である。今になっては申し訳なさが半端ない。

ということで、家意識の薄れた現代社会を問題視し、糾弾する資格など私にはない。
仏弟子という埒外の生き方を選択した今生のわが人生。そんな私に残された親孝行とは、十全にわが生を全うする以外に実母の回向も供養もない。当に生死一如。わが血肉に受け継がれた命の謎。切れながらも受け継いだ命の灯。死者との信の真っただ中で生きて生かされている。今も、ここに実母の命と共にあり続けるばかり。合掌。






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「遠」

鬼城忌の夜をさ迷ふ蚊なりけり

遠ざかる記憶美し秋の虹

谷汲の村の豆稲架風生まれ

売られゆく嘶き高し馬の市

總持寺の寺領に老いて粟を刈り

老といふ遠まなざしを敬へり

母がため糸瓜の水を取ることに

橡の実晒す遠き山より水引いて

竹伐りて生れしばかりの空覗く

新藁や二十日鼠の出る頃の

秋の声遠ざかるとも迫るとも



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「蕭条と」

刈田吹く神奈備の風たひらかに

蕭条と秋の村雨人影もなし

去りがての浮雲一つ捨案山子

秋耕のいつしか寒き山影に

張りつめし空に響ける添水かな

能登沖に雨脚見ゆる小豆稲架

台地の果てへ波打つ畝や若煙草

僧一人招かれゐたる鎌祝


夜なべせし母の音する枕上

真夜中の月覗きゆく猿酒





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