再生への旅

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zoom RSS 今日の羊頭苦肉・こんな私でよかったら・・・

<<   作成日時 : 2018/10/06 05:19   >>

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蓑虫や風に嘯き風に泣き 玉宗

来月二十三日に飛騨高山で講演することになった。
能登半島地震に被災した経験から学んだお寺の存在意義といったものを話して欲しいということで、後先を顧みず引き受けてしまった。御誕生寺開山忌法要を済ませた帰途に飛騨に立ち寄り、事務方を担っておられるお寺を訪ねた。宗派を超えた地元の佛教会が毎年主催しており、今年は曹洞宗の持ち回りという事で講演者を探していたらしい。因みに昨年は、臨済宗建長寺だかの管長さんが公演されたらしい。それを聞いて耳を疑ったことを告白して置こう。思わず「私みたいな者でいいのですか・・・・」と二度三度と確認したことである。管長さんの次の年に講演するなんて、悪い気はしないが、好い気もしない。

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もとより、背伸びするつもりなど毛頭ない。夫人にもそれは固く言い含められている。「無理をしないでね」ということらしい。常日頃から、私の法話には厳しい夫人である。早口すぎる。もっとゆっくり、味わい深く話せ。声が大きすぎる。内容がくどくどしい。的が絞れていない。にやにやするな。自分の話に本人が泣くんじゃない。滑舌が悪い。等々。散々である。

私は宗門の説教師でも、布教師でもない。そのような肩書を一切持っていない。お坊さんとはお坊さんでありさえすればそれでいい、と腹に決めて今日までやって来た。出家した動機にも、人様に説教されたくも、説教したくもないといった見切りがある。人様と関わりたくなかった。話をするなんて思いもしなかった。坐禅と作務と托鉢。この三つ、三種の仁義があれば禅僧として憚ることもなかろうと高を括って生きて来たのである。

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ところが、現実はあにはからんや。法を説くことが仏弟子の条件として求められる。説教だけではない。宗門は様々な肩書、つまり専門職がある。住職になっただけではすまされない臨機応変がある。何をいまさらなのではあるが、逃げるわけにもいかない。わが説教に呆れる人もあろうし、眉を顰める人もあろう。無視という関わり方もあろう。

肩書を持つという事は、それなりの修練とお墨付きを戴いたという事でもあろう。言うならば、看板を掲げることができたということだ。世の中は看板を目当てに人が集まったり、敬遠したりする。羊頭狗肉ということもあるが、信用を担保する一つの手立て、方便ではあろう。そういう意味では、私など、「市堀玉宗」という看板しか持ち合わせていない零細企業、家内企業みたいな代物である。

ということで、最終手段は自分が本物になるしかない。自分という実物を引っ提げていくしかない。嘘も隠しもなく、市堀玉宗という奇跡を語るしか手も足もでない。無料という事もあるし、こんな私でよかったら、どうぞ暇を潰しにいらしてね。さて、どうなることやら。\(^o^)/

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「九頭竜湖」

仏みな山に逃れし秋気かな

韜晦の山紫水明秋の声

山霧の奥に息づき龍眠る

草深く露としぐるゝ大伽藍

山寺やかりがね寒き鐘の音

峰越ゆる色なき風や志比の庄

白山の霊水ゆたか弥澄みて

雲上に蕎麦の花咲く大野庄

湖畔吹く風にも律の調べあり

九頭竜の淵碧くして冷やかに

山高く峪清く秋深みかも

跡絶えし山のしづけさ草雲雀

雁の渡りし湖と聞くばかり





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「宿六」

暁の枕やいづこ草ひばり

木天蓼も実となる頃や酒浸り

だらしなく色づきゐたり烏瓜

宿六の頼みもせぬに茸狩

用もなく外に出てゐたり秋の暮

秋簾酒を酌むにも憚れて

秋刀魚焼くほかに用事もなかりけり

色のなき風に飯食ふばかりなり

赤とんぼ吹き消すやうに日の暮れて

牛蒡引くほどの力もあらばこそ

夜の厠鳴かぬ竈馬の怖ろしき

蓑虫や風に嘯き風に泣き



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