再生への旅

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zoom RSS 和顏童心と長楽萬年、ってどうよ。

<<   作成日時 : 2018/10/14 05:10   >>

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花とひらく咽喉の奥まで杜鵑草 玉宗

夫人がまたもや床の間でなにやらカタコト音を立てているので、覗いてみる。
茶席の軸を選んでいるらしい。どちらも板橋禅師様から戴いたものである。例によって、読み方から、その意味までをしつこく聞いて来る。こちらも例によって、半ばお茶らケかして応答するのだが、それでも食い下がってくるところは、熱心なんだか、呑み込みが悪いのか、俄かに判断しかねるところがあって、これもまたわが夫人の個性であろうかと、遅まきながら結婚三十年を疾うに過ぎて受け入れようとしている私がいる。

前置きが長くなったが、その軸とは、「和顏童心」と「長楽萬年」である。


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禅師様には「温顔童心」と揮毫されたものもある。「和顏」「温顔」どちらも、おだやかな、やわらかい、すべてを受け入れている、怖れを与えない表情というべきか。で、「童心」である。童の心であればこその表情。正確には「童の如き心映え」と言うべきかな。子供は確かに純真ではある。純真ではあるが、見方を変えれば偏っている。善悪を越えて言うのであるが、それはものごとの真相を把握しきれていないからこその危うさであることが少なくないだろう。

いつまでも、全ての人が子供でいれる筈もない。いやがうえにも様々な人生経験を経て、清濁、表裏、善悪を知ることになる。知らなければならんだろう。実体は決して純粋で終始してはいないし、純粋で済まされてはいない。大人に成るとはそのような物事の実体を見極めることでもある。そして、仏道に於ける「大人」「解脱」とは、実相を実相と覚知しながらも、それに捉われない「素なるこころ」「柔軟心」のなせるところであろう。

「顔施」という言葉がある。顔の表情一つでも施すことができる。「顔」も又,仏道を実践する調度である。どんな相手でも、境涯でも厭な顔をせず、しかめっ面をせず、暗い顔をせず、人に施す。それは無邪気な童にはできるようでできはしない。捻くれてしまった大人なればこその越えなければならない徳目であろう。だからこその「禅語」なのであり、床の間に掛けて事足りるといったものではない。

又、「和顏」といったものも、受け取る方の心映えであることがあろう。世界は自己の鏡であることを顧みれば、人の表情をどのように受け入れている自分であるかと点検してみるのも無駄ではあるまい。


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で、もう一つは「長楽萬年」である。
楽しいことがいつまでもつづきますように、みたいなお目出度い解釈が一般的なのだろうか。祈ることは一向に構わないが、永遠に続く楽しさなんてあろうとも思われない。第一「楽」とは何だ。「苦楽相半ば」「苦は楽の元」「苦楽はあざなえる縄の如し」「楽は苦の種」というのが実際のところであろう。つまり、本来ものごとに「苦楽」の色合いなどついてはいない。生老病死を苦の種と受け取るか、楽の種と受け取るか、それはひとえに私の生き方一つに掛かっていよう。

目先の「楽」を追い、耽り、後先を考えないでいいのかと仏道は諭している。もっと遠慮ある眼差しを持てと言っている。今日の楽が明日の苦となるような生き方をしていていいのかと。「長なる楽」といったものがある。それはわが欲望を越え、古今を越えて、まさに「萬年」「永遠なる」様相を呈している。つまり、「今をかぎりと成仏している」という在り方をしている。後先を考えないのではない。後先に捉われないで、萬年にして永遠、後先を絶している「今、ここの様子」がある。「長楽萬年」をお目出度い掛け軸として見るのもいいが、日々自己の欲望の真偽を顧みる鏡とせねばならないかの如き言葉ではあったのである。

ことほど左様に、禅語とは生易しいものではないと私などは思っているのだが、それでも夫人は「もっとわかりすく」と強要するのである。わかりやすければそれでいいのか、と思わず言い返すのであるが、「それでいい」と、夫人はにべもない、というか、ほとんど上の空、他人事、お目出度い限りで済まそうとしているのである。何をかいわんや。度し難きは何とやらと言いたくもなる。


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「旅人」

朝寒や眉を濡らせし粥の湯気

つぎはぎの月日の障子貼りにけり

身に入むやひと雨ごとにいのちさび

一夜さの夢を枕や翁の忌

死ぬる世に借りあるうすら寒さとも

狼の祭りし跡や血塗られて

明日知れぬかりがね寒き旅人かな

色のなき風に籠るや草の庵

暮れてゆく跫そぞろ寒きかな

思ふこと頻りなる夜や寒みつゝ

冷まじき星の瞬き睫毛濡れ



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「都」

落鮎や都を沖とせし国の

蓑虫のゆれて洛中洛外図

初鴨や都は四方を囲まれて

北山の紅葉の映えや鹿苑寺

鴨鍋や油断のならぬ京ことば

本願に西や東や月落ちて

雁がねの来るころといふ紫野

鶺鴒のとんとん歩く高瀬川

大原に逃げのび秋を耕せる

五重塔釣瓶落しに影なして

血塗られし都の地名蚯蚓鳴く

山裾も都ぶりなる龍田姫











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