俳句鑑賞・その9

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煤払ふさ中の雪となりにけり 玉宗


〇12月5日の投句より

(承前)五七五、短詩形故に似たり寄ったりの味わいではあるが、似て非なるものであることも確かである。「言葉ひとつ」「助詞ひとつ」も疎かにならない所以でもある。俳句に於ける「切れ」の問題も「間・余情・余白」といった「言葉の掛け橋」へのセンス・感性が試されている。月並とは常識に止まり「詩といふ橋を渡らない」でいることなのだろうが、それは「感性を尽くす」ことを止めたということでもあろう。

「意は似せ易く、姿は似せ難し」という教えがある。目に見えない「意・こころ・感性」というものは真似がしやすいものだというのは常識に反している。常識は目に見えないものをこそ真似する事が難しいものだと錯覚している。常識は「姿・かたち」ばかりを真似ていると非難するが、真似ごとと本物のの匂いをどこかで嗅ぎ分けているようなところもあるから曲者だ。目に見えるものをこそ真似が難しく、誤魔化しが利かない。(この項続く)

ということで、目に見える何気なさに味わいのある句を。

「鳶の輪の一つ二つと冬の海 眠兎」
「一つ二つと」というまなざし素直な言い回しに、ゆったりとして、さぶさぶとした時空が感じられる。それが冬の海にふさわしい。そんな目に見えたものを追う調べがある。

「北へゆく高速道路山眠る 千秋」
「北へゆく高速道路」というぶっきら棒にして意表を突いた真っ直ぐなもの言いが、眠っている山の広さ、深さを感じさせてくれる。

「二番穂に踊る雀や冬夕焼 真波」
よく見て、感じて、目に見えるものも感動もまっすぐ描写している。

「耳あてを闇に忘れて生まれけり 直美」
一見不思議な句であるが、冬に生まれた赤ん坊の耳の辺りが如何にも痛々しいまでに真っ赤なことに抱いた思いなのだろう。まるでお腹の中に耳あてを忘れてきたかのような赤ん坊の赤い耳。そういうことであれば目に見えてくる一句だね。微笑ましい眼差しがあるじゃないか。

〇12月6日の投句より

(承前)天才は予想外の「意」を持っているものであるが、凡才は「似たり寄ったりの意」で自己満足しているものである。善悪の問題ではなく、人並、常識でいることをこそ、その本領としているからである。そのようなスタンスで韻文に関わることもまた否定できない大衆文芸の現場である。そうではあるが、非常識な天才の出現を妨げるようなことがあってはつまらない。余談ではあるが、できることなら私もそうありたい、否、口外はしないが自分が天下一品であると自惚れている節がないこともない。そこに落とし穴があるのであろう。

文芸とは「自惚れ的」な領域もなくてはならない。そしてまた、「極めて客観的にして謙虚」な地平、眼差しもまた持ち合せていなくてはならない。俳句創作に於ける「完成度」も又、そのような端的な問題から逃れられないのではなかろうか。もしかしたら、それが全てなのかもしれない。韻文とは「言葉」という「姿」への作者という「意」の寄り添い方、着こなし方ということではないか。最短定型詩という「表現」の本質にそのような視点があってもいいのではなかろうか。類句、類相といったことも「意・感性」と「姿・言葉」との脈絡、つまり作者の人間性から点検できそうな気がしないではない。

とうことで「意」の寄り添い方で注目した句を。

「煙突の高々とあり冬館 真波」
煙突の高々さ加減に「冬」を感じたのはいいと思う。が、一句の完成度としては物足りないというのが正直なところ。これでは「冬館」の説明になりかねない。煙突の高々さを再認識させたのは「館」ではなく正確には「空」ではないかな。冬空には「しらじらしさ・遮るもののないうつろさ・境目がはっきりしない、つれなさ」といったようなものが私なんかにはある。「冬の空」と置いてもいいのだが、「煙突の高々と冬景色かな」としたらパノラマが少し広がりそうだね。煙突の高々さに心動いたのには「冬空」「冬景色」「冬館」といった季語の「本意」に作者の「意」が共鳴したということではなかったのかな。そいう意味では掲句には季語の本意が少なからず伝わっていると思う。捨て置けぬ写生句である。



〇12月7日の投句より

「俳句の重心・金子兜太・肉体の言葉」
現代俳句の可能性を開いた金子兜太の俳句には圧倒的な存在感がある。例えば、一句は言葉が深く刻まれた梵字が彩なす卒塔婆のようだ。又、その俳句には確かな重心がある。例えば、一句は金子兜太という総量以外のなにものでもないかのように。縄文土器のように古くて新しい芸術作品を観ているようだ。自身の若い頃を「感性の化けもの」であったと回顧する自然児金子兜太。戦前戦中を生き抜いた若き秩父魂。その俳句は決して明るくはないが暗くもない。蛾のまなこのように赤く光っている。

愚に近き日日やバナナは色づきて
蛾のまなこ赤光なれば海を恋う
薔薇よりも淋しき色にマッチの焔
吾が顔の憎しや蝌蚪の水にかがみ


青年特有の、内へ向けられた痛々しくも愚かに似た、そして人生の矛盾を衝いた眼差し、感性がある。「バナナ」「蛾」「マッチ」「蝌蚪の水」という現実が、「愚に近き日日」「海を恋う」「淋しき色」「吾が顔の憎し」という青年の危うくも美しい思想を担保してくれる。彼はまだ自然を信じている。信じたがっている。時代は戦争という国を挙げての無鉄砲の只中であり、戦へ駆り立てられる若者。彼らは浪費できる夢を探していたのである。(この項つづく)

ということで今日の注目句。

「並び立つゲーテとシラー雪被く 直」
二人の銅像があるのかどうか知らないが、まあ、なくても構わないが、一句としては他を寄せ付けない格調がある。雪が小説のように、詩のように降りそそいでいる。

「ボーナスをあてにしちゃって試着室 浩正」
格調より流行、かるみを前面に出した。時代が見えてくる社会性のある一句。当然ながら社会性と人間性とは切っても切れない。因みに金子兜太は「社会性とは態度の問題だ」と言った。要するに俳諧の誠のことだろうと私は思っている。

「二十年使ひし鞄漱石忌 紀宣」
意外性がないようである。要するに即かず離れずということかな。余談だが、忌日の句は個人への挨拶句でもあろう。思い入れの多寡、真偽が自ずと一句の品格を醸し出すんだろうね。襟を正すに吝かではない。


〇12月8日の投句より

(承前)
原爆許すまじ蟹かつかつと瓦礫あゆむ  兜太
曼珠沙華どれも腹出し秩父の子
彎曲し火傷し爆心地のマラソン
どれも口美し晩夏のジヤズ一団
霧の村石を放うらば父母散らん


俳句の社会性を問われて、「それは作者の態度の問題である」と嘯いた氏は、「主義」「思想」という「化け物」が肉体を裏切ることを戦争で知らされた。そのような「社会」に俳句が立ち向かうには「言葉を血肉化」しなければならない。つまり一句と心中する覚悟があるかないかを言っているのであろう。それが金子兜太の社会性・俳壇を含めた社会への態度である。
「瓦礫をかつかつ」歩く蟹のように生きるのも、「火傷しながら爆心地」を走るのも、金子自身であり、秩父の子や晩夏のジャズ一団へ優しさも、霧のような深さで生きる父母の愛を受け継いでいるのに違いなのだ。太平洋戦争をトラック島で敗戦を迎えた氏が、その死に至るまで、戦禍で亡くなった多くの者たちへの贖罪、悔恨、無念の想念が消えることはなかったか。
肉体に刻まれた鎮魂。それは当然のように一句に刻まれた鎮魂であり、言葉が血肉化したということでもあった。氏は俳句と云う思想を獲得したのである。金子兜太の俳句は戦後、縄文土器のオブジェのように屹立している。後にも先にもこのような俳句はなかった。氏はは俳句に戦後の人生を賭けたのである。俳句と云う匕首をもってひとりで現代俳句を切り開いていった。俳人金子兜太という歴史が始まったのである。(この項続く)

ということで、色々考えさせてくれたという意味での今日の注目句。

「家に聴く校内放送冬の虹 無智」
一読、情景がよくわかる。冬空の乾燥した空気感にそう遠くもない町内にある学校からの校内放送が家に居ながらに聞こえてくる。折しも、雨上がりの冬の虹が窓の向こうに見えている。そんなところかな。何気ない日常の一コマであるが、冬の本意を醸していよう。句意明解にして、俳句は己を語ることだみたいな余分な主観を介していないのがさっぱりしていてよい。過不足のない写生俳句だと思う。

「千年後きつと海鼠は龍になる 直美」
これは海鼠を見ての感興を一句にしたものだろう。「きつと」「なる」と不確定要素を残しながらも言い切ってしまうところが俳句らしからぬという立場もあるかもしれない。現代川柳と指摘される可能性もある。俳句か川柳か、まあ、定型詩的不易流行があればどちらでもいいのだが。例えば「龍になるおもひを秘めし海鼠かな」としたらどうだろう。「凍蝶のふいに解けし陽射しかな」と同じような写生俳句として認められる可能性が高まるのじゃないかな。




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「目」

愛されて困り果てたる兎の目

世の中に伏目がちなる竈猫

赤子の目鈴と鳴るらん雪の夜

もうだれも信じられない鯨の目

混沌に目鼻付けたる海鼠にて

どこをどう間違ひ八目鰻なる

蛇の目傘しぐれとひらく逢瀬橋

銀鱗を纏ひし潤目鰯かな

本棚の憂鬱夏目漱石忌

熱燗と花札に目がなかりけり

目隠しの夜の闇よりごろすけほう



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「機嫌」

日和よく煤竹伐りに妻を連れ

機嫌よき日なり天下の干し布団

翅閉じてそのまま凍る蝶の夢

綿虫や先立つもののなかりけり

逢瀬なる橋の袂や散紅葉

クリスマスローズご機嫌伺へる

蟷螂の逃るゝ山も枯れにけり

冬薔薇機嫌損ねてしまひけり

洗ひたる沢庵石に夜が来る

手探りの夜の向かうへ去る狸

機嫌直して煮込みおでんの帷かな

雪の降る前の夜空や蕪鮓



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