仏事を尽くして仏命を待つ

本命はあなただつたの福寿草 玉宗
石川県でも新型コロナウイルス感染者がでた。すでに感染者が日本各地に往来しているのだろう。金沢での宗門関係の研修会もいくつか中止になった。近いところでは總持寺祖院は拝観観光者が全国から参拝に上ってくる。この先どのように対処されるのか。三月は門前町教区寺院の月遅れの涅槃が目白押しでもあり、町としても恒例の催し物が控えている。自坊である興禅寺の涅槃会は十三日。先日二十四日には輪島永福寺の涅槃会を済ませたが、さて興禅寺はどうしたものか。県や国から集団感染抑止の基本方針が発表されたばかりである。人の集まることを自粛する方向へと向かっていくのだろう。つい先日までは、人が来なくなったお寺の現況を嘆いていたのだが、小さなお寺ながらも一般家庭よりは人の集まるところではある。ここはそれなりに対応しなければならないのかなと思い始めている。周りの様子をみて、今年は中止ということも考えておかねばなるまい。
さて、人が見ていようが見ていまいが、仏道として為すべ事は為し、為さざるべきことは為さない。仏道の行持の面目とはそれだけのことである。あたり前のことをあたり前に行い、戴き、施す。本来「行持」とはそのようなものだ。毀誉褒貶に関わらない仏法の在り様ではある。世間では自己を膨張させることに躍起になる節があるが、出世間では自己を忘れる機縁がなければ仏道とは言えない。私がいてもいなくてもなんともない世界がある。おれがおれがとか、お前がお前がとかといった界隈に右往左往していていいのかと問われているということだ。自分さえよければそれでいいといった生き方とは方向性が違ってくる。新型コロナウイルスへの対処もまたそのような仏道の初心の延長線ということになろう。いのちを粗末にしてよいというのでもなく、そしてまたいのちを惜しんではならないということ。共に真実である。それもこれも仏道を優先させんがため。
わがいのちは天寿であり、仏寿でもある。人事を尽くして天命を待ち、仏事を尽くして仏命を待つほかあるまい。

「わがこと」
春風にそそのかされてこの方の
朝粥に舌を焦がすや雁供養
名も知らぬ小川と春を奏でけり
首擡ぐ遊び心や水温む
わがことと慌てふためく雉かな
春ひとり夢を語ればきりもなく
一つづつ影を置きたり落椿
そそくさと隣りの梅を見て帰る
申し訳なささうに摘む蕗の薹
凝りもせず生きめや草も青むなり

「鼻息」
後朝のひかり差し込む雛かな
鶯餅喰ふに鼻息細くして
もの干してそのまま蓬摘みにゆく
草餅の少し固きに仲直り
梅見より戻りし母を炙りけり
うすらひの岸に浸け置く鼠籠
大根の菜つ葉も飯となりにけり
茎立ちて引くに引かれぬ菜なりけり
種芋の芽を掻く納屋に母ひとり
春の夢みたしと枕深うせり
この記事へのコメント
何かとおれがおれが世間ですが、会社を離れてから漸くそのことに気がつきました。遅かったですが・・。 周りを眺めが違ってきたような気がしていますが・・。
今回勝手にブログに感想を書かせていただきましたので、アップしたいともいます。機会を見つけてお参りしたいと思います。