何気なさの奇跡
少し遅いがまだ喰へさうな蕗摘みに 玉宗
先日、夫人と蕗摘みに出掛けた。
私達二人はどちらかと言えば出不精である。夫人は煎茶礼や御詠歌などを習っているので月に何度かでかけることがあるが、私は基本的にお寺に居ることが仕事みたいなところがある。住職とは言ったものだ。まあ、それはいいのだが、それにしても夫人は学生時代はテニスなどをしていたらしいが、結婚してからは坊守としての支援に専念してきた。私と同い年である彼女は還暦を過ぎてから特に運動不足を痛感するようになった。そうではありながら、私が散歩に誘っても殆ど首を縦に振らない。億劫らしい。これまで数えるほどしか一緒に歩いたことがない。
今回は特にコロナウイルスへの社会の対応と言うこともあり、旅行もドライブも自粛している。孫にも会えない日が続いている。それでもお寺は一般の家庭よりは伽藍や境内が広大で家事をするにも少なからずの労力を費やして気が紛れてはいるだろう。しかし、運動不足は否めない。私も流石にドライブも自粛せざるを得ない世の雰囲気に少し息が詰まりけたところ。
ということで、先日好天と言うこともあり、蕗摘みに誘ってみると意外にも二つ返事で乗ってきた。四六時中亭主と顔を突き合わせている鬱陶しさやストレスもあるのだろう。外の空気を吸いたくなったらしい。歩いて三十分ばかりの山間。道端に生えていた野蕗をスーパーの買い物袋一杯に摘んで帰った。お寺に戻ると庫裏の玄関先に「筍」が一つ新聞紙に包んで置いてあった。檀信徒のどなたかが下さったのだろう。今年は生り年だと聞いた。あり難い。
蕗は下拵えをしてから半分は煮詰めて伽羅蕗にした。そしてもう半分は茹でてから甘く煮詰めて砂糖をまぶし、菓子のようなものを作っていた。彼女はどちらかと言えば精進料理よりお菓子作りが得意である。筍は次の日に茹でて「筍飯」となった。何気ない日常が奇蹟に近いことを何気なく知らされている今日この頃ではある。
「山里」
少し遅いがまだ喰へさうな蕗摘みに
妻とゆく山路もいつか夏めいて
踏み込めぬ丈となりたり夏蓬
山里は風も匂へとあやめ草
真青なる空に燻る花あけび
野いばらの花に急かるゝ帰心あり
水木咲く峠に望む日本海
野にあるも紫濃ゆき諸葛菜
花大根これより里のひらくかに
野路過ぎて代田の里に出でにけり
「手間暇」
落人の里の筍飯を食ふ
伽羅蕗の手間暇かけてこれだけか
抜き足の疎かならず鷺のゆく
間違へて土竜貌出す田植唄
旋風舞ふ仁江の塩田夏初め
鯉幟風吹かぬ日はだらしなく
じやらじやらと懐寒き小判草
喜んで蠅の出てゆく隙間あり
ゆく当てのあるとも見えず蟻のゆく
蜘蛛の子や光りに透けてさみどりの
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