ひたすらなるもの 



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秋蝶来それどころではなきやうに 玉宗

世に「無くて七癖」と云われます。
癖にも様々あります。迷いたがる癖、悟りたがる癖。私という訳の分かったような解らない世界に拘りたがる癖、自分持ちにしたがる抜き難い癖。人間には、今という生きているここの事実に様々な思いを持ち込む癖があります。まっさらな今の様子に着色し、或いは色眼鏡で見る癖。そして本質的に浮かんでは消えるだけの思いに引きずられ、引きずって、思いだけは済まない業を重ねることになります。それを輪廻と言う。仏道はそれを止めんかと言う話です。

そのような仏道を「只管打坐・ただの禅」ともいい、その「ただ」の妙味は自己が自己に参じ、会得するしかない道でもあります。それは「あたま」の理解で済むようものではありません。あってはなりません。それは「仏法」という「在り難そうなもの」があるという話なのではなく、独善とは程遠い、無私にして拘りのない次元の極めてあたりまえの命に徹することにほかなりません。

もの足りなさから余計なものを求めようとする癖も人間にはあります。ご利益だなんだと、縁起が悪いだなんだと、罰があたるだなんだと、主義主張、我他彼此、どこまでも偏った眼差しからの展望です。癖のない、いのちありのままの様子。好き嫌いの話ではない。自己の脚下に明らかな、ただ、ひたすらなるいのちの様子を人生の一大事として生きていこうということです。

わたくしなく、清浄にして、ひたすらなるものの輝きと瑞々しさ、そして尊厳があります。〈 法話集『両箇の月』より 〉



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「文月の」

朝な夕な凌ぎ易さよ文月の

手を合はす戦火の如き朝焼けに

秋蝉の後がなき身を焦がし鳴く

たらふく喰うて妙にむなしき西瓜かな

野路の秋狐日和に祟られて

秋の風鈴ひつきりなしに鳴りにけり

潮なして光る鱗粉黒揚羽

海も空もだれのものでもなき素秋

道元忌米食ふ鳥を叱りけり

百日紅照りつく空に翳りして

容赦なき能登の残暑を見舞ひけり

物忘れひどいね葡萄一つづつ食べる



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「詐欺師」

手を合はす戦火の如き朝焼けに

うち寄する波音秋の紛れなく

瓢箪が欲しいのだとは言ひ出せず

秋暑く獣染みたる伝道師

八月の裏へ廻れば貧しさよ

盆過ぎて竿竹売りの来りけり

秋蝶の触れゆくもののみなさざれ

秋の虹潜りて詐欺師来りけり

梔子の読み捨てられし花のいろ

秋めくやそれどころではないのだが

コロナ禍もどこ吹く風よ稲雀

淋しらのわが影法師野路の秋



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