塩田句碑

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塩田に百日筋目つけ通し 澤木欣一


先日、所用で輪島市曽々木の海道を走った。
「窓岩ポケットパーク」となずけられた一画に、「風」主宰・故澤木欣一の「塩田句碑」がある。建立当初は同じ輪島市町野町内の一キロばかり離れた旧町野高校近くにあったものを、後に現在地に移したのである。塩田が海岸とは切っても切れない地場産業であったことを思えば、「塩田句碑」はあるべき場所を得た観がある。その「塩田句碑」をしばらくぶりに目の当たりにして、この句が百年後にも残る一句であることを実感したのである。理屈ではなく、まさに直観である。時間の変遷を経てもビクともしない存在感がある。極端に言えば、人類が絶えた後にも、金字塔の如くに、遺跡の如くに立ち尽くしているのではないかと。何故か。

塩田に百日筋目つけ通し 澤木欣一

これは戦後まもなく、社会性俳句の旗手として活躍し、その後も風土俳句など即物具象で写生俳句の新たな地平を開いた澤木欣一の金字塔的作品である。のちに短詩形を感性による認識詩であると規定した澤木の、若き日の作品でもある。ここにある眼差しは如何なる感性の為せる表現なのであろうかと思ったりする。その切り取り方に氏の独自な、把握の仕方があり、観念という曖昧なものは削り取られている。
虚子も注目した澤木欣一という若き写生主義の裸眼。虚子はこの作品に、見ること、感じることに嘘のない誠実な一人の人間を見た。澤木は、現実を切り取るという具象表現をすることで社会に何を提言しようとしたのだろうか?或いは主義主張に左右される人間の観念を見切ることによって何を守ろうとしたのだろうか?

戦後の日本人に求められた新しい生き方というものに、澤木なりのアプローチがあったことは想像に難くない。氏が戦前戦中を通じて、リベラルな反骨魂の持主であったことはよく知られたところで、それは戦後の生き方に於いても、真の知識人、表現者としての良心を持って生きることに繋がっていただろう。風土俳句への展開も即物具象の手法とは切っても切れない現場を尊重する写生精神の当然の傾斜であった。
 
社会性俳句は作品的に破綻していったという見解がある。
その理由として、「社会性」という時代の共感の場がなくなっていたというものがある。時代とともに社会的問題・関心事が変化するというもの。然し、それは過ぎてしまえば当たり前のことだと言っているに過ぎない。戦後間もなく続いた日本人に貧窮した生活は、社会性俳句の作者にはその作句対象となるものであったが、戦後の高度経済成長とともに顧みられなくなった。社会性俳句も又、不易と流行の洗礼を受けた俳句の軌跡であったということだろうか。
 
いつの時代においても、表現者にとって一番の関心事は、どうしたら世の残る作品ができるだろうか?ということに尽きよう。澤木と同時代人でもある金子兜太は、社会性とは態度の問題である、と言った。どのような姿勢で現実を生きて行くか。表現者は生活者でもある。理想の星を仰ぎながら曼荼羅模様の現実に足を踏ん張って生きていかねばならない。態度の問題とは、つまり表現者としてどう社会を生きていくのかということであろう。表現者として何を人生の宝として生きていくのかと言っているのである。或いは、表現にどのように関わるのかという作者のアリバイが問われているとも言えようか。短詩形表現に俳人は何を賭けて人生を渡ろうとしているのか。それは平成の現代にも続く俳人にして人間の条件ではなかろうか?社会性を無視して人間の存在もない。それは俳人も又、意匠を凝らした社会性をもつ存在者であるということでもあろう。社会性俳句は流行の軌跡であったが、俳句の社会性はその本質と深く関わり続けているように思われてならない。

そのような人間社会の有為転変や変遷を越えて残る一句があるのかどうか。澤木の句には、観念を先行させなかったことによって時代を見事に削り取っている。一句は何も語ってはいないが、それは作者の主観を述べていないということであって、塩田という過酷な生産現場で生きていて人間への共感がなかったということを意味はしない。その共感の色合い、態度こそが澤木の社会性なのである。

不易流行を勝ち取る一句とは、感性という人間の備わっている共通項が鍵となる。主観ほど移ろいやすいものはない。昨日の正義が今日の絶望になる。澤木の一句は正邪や善悪を提示してはいない。まさに卒塔婆のように、化石のように、土塊のやうに社会の現実を削り取って差し出されている。この言葉という感性の認識による定型詩の残したものは揺るぎがない。まさに、表現の奇蹟と言っていいだろう。私はそう思う。





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「樽の心地」

たひらげて樽の心地の西瓜かな

秋千草花とよりそふこころあり

ゑのこ草風と歩めるみちのべの

風を手玉に風に弄られ秋桜

八月大名能登も奥なる在所にて

ふり返る姥捨山の花野かな

おほばこや泣き虫小虫膝小僧

末生りを捨て置かれたる南瓜かな

花茗荷二十日鼠がうろちよろと

食へさうな無花果の実を数へけり

秋海棠水面へ紅を差しぐみて

大蓼の花や愚かに抜きん出て


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「村」

草は穂に風の生まるゝ美谷村

コスモスや花のパレツト濃く薄く

胡麻咲いてかげろひやすき鹿磯村

栗ひろひ火鋏をもて籠に入れ

芋の葉や狸うろつく鬼屋村

鬼の子の着の身着のまま興禅寺

かもじ草指切りげんまんして別れ

花茗荷舌を垂れたる帆山寺

土手をゆく塩辛蜻蛉引き連れて

總持寺へ二百十日の手を合はす

気まぐれな風に嘯くねこじやらし

秋薊三蛇山へと招くかに

鐘の音に遊べる蜻蛉満覚寺

鈴虫や真つ暗闇の中尾村

たらちねの寝息ゆたかに厄日過ぎ

葉月尽母が褥の嵩低く




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