いのちその日暮らし 



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鉄鉢に明日の米あり夕涼み  良寛


良寛さまの周りにはいつも子供たちがいました。子供達が朝も夕方も懐(なつ)くようにやってきます。それを一つも煩わしいと考えずに子供たちと一緒になって遊んでいました。また、村人が畑仕事を手伝ってくれと言えば、畑の中に入りました。時には草引きもし、家の手伝いもしたことでしょう。月夜の晩の泥棒に黙って蒲団を盗ませてやったこともあります。墨がなくなると空へ筆をなぞらえ手習いを怠りませんでした。頼まれれば、庄屋の放蕩息子へ無言の涙を以って諭しもしました。良寛さまは貪ることも求めることもなく、縁に随って自由自在に日々を過ごされていました。然し、世間的には愚の如く、何の役にも立たない徒食の人間と見られていたのかもしれません。

然し、良寛さまの生きる様子からは人生には本来目的などないのではないかと教えられます。ほとけのいのちに生かされていることに目覚めてみれば、そのように言うしかない「いのちその日暮らし」と言ってよい豊かな今があるばかりです。欲望や貪りが先行しない仏弟子の生き方はまさに「いのちその日暮らし」であるといって過言ではありません。

いのちあるがまま。むさぼらない。自己の命を今、此処に使い切る。きれいさっぱり、跡形もなく生きる。その繰り返し。常ならぬこの世を生きる極めて単純にして永遠に真実な生き方です。それがそのまま人生の目的そのものとなっていることに気づきます。明日食う分の米があれば足りる知足の法に生きる良寛さま。無一物にして無尽蔵なる「いのちその日暮らし」の生き様。そこには欲望を超えたほとけのいのちへの絶対的信があります。




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「門前町」

總持寺の峨山越ゑなる木の実かな

秋驟雨浦上川を煙らせて

墨染の袖の捌きも爽やかに

くわりんの実落つるやもせぬ興禅寺

雨もあかるき門前町の帰燕かな

稲の香に噎せる三井町与呂見村

海霧迫る猿山岬風岬

能登沖の雲裂き秋日しぐれつつ

栃の実喰らふ耳無山の親父かな

仁岸なる里に艶めく椿の実

芒穂に月を望める鴨が浦


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「老残」

けふもまた類句類想鳥渡る

褒められも貶されもせず草の花

乗り遅れ見送るばかり秋の雲

百日紅まなこぎらぎらしてゐたり

埒もなき夢を追ひ駆けけふ白露

いぼむしり償ひきれぬ顏をして

秋暑く老残覆ふ術もなし

爽やかや明日をも知れぬわが身にも

はらぺこの燕と追ひつけぬ秋天

鈴虫と一つの闇に眠るかな

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