コロナ終息祈願祈祷法要顛末

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勤行や雁がね寒きあさぼらけ 玉宗


永福寺の恒例秋の観音祈願祭が無事終了。
弟子に住持位を譲ってから法要の導師をさせていたのだが、今年は隠居である私が修行した。それには二つ訳があった。
一つはコロナ終息を祈願する法要をどうしても私の作法でやりたかったからである。今年の五月の朝の勤行で「大般若経理趣分」の真読を続けている。永福寺は住持位は弟子に譲ったが、弟子は總持寺祖院に役寮待遇で今も安居を続けている。檀務や寺務があったときには帰るが、私が興禅寺の住職と共に永福寺の留守を預かっているのが現状である。朝夕のお勤めは私が今も続けている。

ということで、その「大般若経理趣分真読」であるが、どこの禅寺でも同様であると思うが、大般若経祈祷では導師は「真読」ではなく、作法に則った「飛ばし讀み」をすることが口伝になっている。式次第の都合もあるし、時間的に「真読」に要する時間は早くて一時間は掛る。永福寺では先代住職も毎月月初めの勤行では「大般若経理趣分」眞読を「訓読」で勤めていた。勢い、要する時間は一時間を越えていた。私は「音読」である。今現在それに要する時間は「三十分」である。そのくらいの早さで読めるようになった。ということで、祈祷法要の式次第になんとか組み入れることができるのではないかと思った訳である。弟子にもそれを提案したら、最初は訝っていたがもう一つの理由を言い出したら、快く了解してくれた。

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私が導師を勤めることに拘ったもう一つの理由。それは「膝が痛い」からということだった。總持寺祖院の御征忌法要前から左ひざに違和感があり、焼香師を勤めることができるかどうか不安だったが、なんとか無事にこなすことができた。三日間の法要も随喜できた。
終ってから、その膝の痛みが顕著になりだして、正座にも支障を来すようになったのである。病院の整形科の診療を受けることを婦人に強く勧められていたのだが、湿布と痛み薬は掛りつけの町医者から戴いてはいるのだが体重を落とせば何とかなるだろうと思って今に至っている。

とうことで、弟子にそのような事情を言ったら、それならということで祈祷の導師を許可してくれた訳である。正座がまともにできないのに導師が叶うのかと思われるだろうが、祈祷法要の導師は正座ではなく「坐禅」をして勤めるのが如状である。今回は「半跏趺坐」で勤めあげたが、正座より坐禅の方が膝への負担がないのである。そんなことを知っていたので、姑息にも弟子に譲った導師の役を願い出た訳である。渡りに舟とはこういう事かな。

ということで、法要の始まる前に、弟子から導師を私が勤めることと、今回は特に「コロナ終息」を祈願しての特別差定であることを参詣者に説明してもらった。時間的にはいつもよりやはり三十分ほど長くなったが、見たことも聞いたこともない導師の作法を目の当たりにして、手前味噌ではあるが、禅宗の儀式に感動を新たにしたと言うお言葉を数人から頂戴した。来月には興禅寺でも同様の観音祈願祭がある。興禅寺は今も私が住職であるので、弟子にも誰にも遠慮せずに修行できる。今回「大般若経理趣分眞読」を祈祷法要に組み込むスキルを手に入れたので来月はもっとUPして臨みたいと思っている。




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「舌の根」

且つ散りし紅葉をけふも掃くばかり

目白来て零してゆきぬ蔓もどき

往年の見る影もなし烏瓜

舌の根の乾かぬらしき杜鵑草

祝ぐ如き秋明菊の白さなる

見上ぐれば団栗落ちて来し深空

秋海棠花の火花の濡れゐたる

紫苑咲く野辺にバスより一人降り

涸れそめし流れに洗ふ銀杏の実

三代に亘る町医者破芭蕉

犬蓼に見向きもせずに風の吹く



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「筵」

暁闇のメタセコイヤへ星流れ

竜胆や空冷えまさる奥信濃

大文字草八重なし飛騨の風に舞ふ

道のべに梅鉢草を売る娘

萩紅葉枝垂れし川も涸れにけり

葬送を戻れば炉火の恋しさよ

胡桃干す里の筵も古りにけり

拳骨も絶えて喰はぬよ榠樝の実

境内の翳りやすさよ石蕗の花

背負籠に木通を入れて戻りけり



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