小さなお葬式

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死ぬる世の今どのあたり秋惜しむ 玉宗


 最近とみに目や耳にする「小さなお葬式」という耳触りの良いキャッチコピーやコマーシャル。私などは正直なところ宗教界から何の反応もないのが不思議でならない。少なくとも正式な見解を見たことも聞いたこともない。

 我が寺などは掛け値なしの零細寺院。そんなお坊さんの立ち位置から批判を覚悟で敢えて言わせてもらえば、コロナ以前から流行り出した「小さなお葬式」を推奨する昨今の社会風潮に少なからざる違和感が拭えない。葬式だけではない。檀家制度や法事やお墓への寄り添い方が変質してきている。省略化や不必要だという社会意識の蔓延。

 またぞろお金の話しだろうと勘ぐられそうだが、その日暮らしに近いお坊さんにしてみれば死活問題であることを断言しよう。そのうちお寺を「廃業」し、「自殺者」がでる可能性もあるだろう。お坊さんも人間である。霞を喰って生きている訳ではない。

 まあ、そんな憎まれ口を言いたいのじゃなくて、私が危惧するのは「小さなお葬式」に傾斜する社会が「狭い心の世界」へと閉塞することに拍車をかけているのではないのか。そんなケチな社会の「良心のアリバイ」として、不透明なお布施に胡坐を掻いてきた「寺、宗教者というタブー」へ数を頼んで反転攻勢に出ているのではないのかな。考えすぎだったら幸いである。好きなようにやればいい。

 嘗て「大きなことはいいことだ!」なんてキャッチコピーもあったことを思えば、「時代だネ・・」と言えばそれまでだけど、要するに不景気なんだろう。そうであれば無駄なお金を掛けたくないと言う本能にも似た節約精神はよく解る。私もどちらかと言えば「ケチ」な部類の人間だろう。夫人の方が余程気前がいい。

 気前がいいと言っては語弊があるかもしれない。夫人の気前の良さ、それは贅沢をしたがっているということではなく、「仏事」にあっては「貪るこころ」を忌む人間であるということだ。先にも書いたことだが、寺族という「仏道を歩む同志」からすれば当然のことではある。「布施とは貪らざること」とは道元禅師のお諭しである。「貪っている」のはだれか。お坊さんか。葬祭業者か。檀信徒か。或いは「無宗教者」か。

 ところで、仏道の主人公はいつも「私自身」である。「自己」を他所に於いての話しではない。自己が貪っていないかを常に脚下照顧し、点検し、今を蔑ろにせず生きていこうとしなければならない。生老病死の人生を全うしなければならない。他人事ではない。他人事であってはならない。それが「宗教」の「宗教」たる所以だ。そしてまた、人間とは家族の中だけで人生を育んできた訳でもあるまい。確かに「家族」は尊いものだが、その一方で「家意識」が希薄化したと指摘されて久しい日本社会でもある。これはどうしたことか。人という存在は孤独なものであるが、孤立しては存続すら危ぶまれるような代物である。

 世の中に蔓延する「一人でも生きていける」という人生観。「宗教などいらない」という生命観。それに異議を唱えて来なかったお坊さんに今の「宗教離れ」を云々する資格はないというのも分かぬことはない。然し、百歩譲って「小さなお葬式」に象徴される「割安な宗教儀礼」を認めるとしてもだ、「信仰」を自得するに「割安」とか「近道」といったものはないものと肝に銘じなければなるまい。「安直な信仰」といったものはありそうでない。それは「信仰」ですらない。

 そもそもが「宗教」のなんたるかを提示してこなかったお坊さんに責任がある自業自得の現状なのか。然し、お釈迦様のころから「あるべき生き方」を説いても耳を貸さない世の中であることも又避けられない現実でもあろうかと思わないでもない。耳を貸そうが貸すまいが、粛々と「仏道」を行じてきた先人を見習うべきだろうね。

 そういうことからすれば、「小さなお葬式」という社会思潮や流行にもの申す私のような所業は「お坊さんらしからぬ」愚の骨頂ということになろう。そんな暇があったら坐禅でもして大人しく生きていけばいいというだけのことだ。社会にあって仏弟子という存在はついにあってもなくてもいい代物、否、私自身がそのような存在であると言うことだ。

「小さな社会・狭い社会・閉ざされた社会」を言い出す人間の心映えに敢えてもの申した次第であるが、それが杞憂に過ぎず、見当違いの屁理屈であると笑われるのを願っています。合掌。


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「档山」

たんぽぽの絮飛ぶ色のなき風に

村の子を生贄豺の祭りかな

逝く秋や嫁を貰へとやかましき

留守がちの神の国なる雀にて

档山に靄立ち込める能登暮秋

火や恋しいのちしぐれてゐたるかと

いぼむしり瓦礫の山を越えて来し

気に掛ることのあれこれ秋蝶来

暮れ残る金木犀の香に塗れ

昼からは山影となる粟を刈り

荻芒風の音にも日の暮れて

空稲架に夕映え冬隣



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「うち」

煙草火が点るかりがね寒き朝

稲扱やお山が白くならぬうち

叱らない母より甘き吊し柿

どぶろくや裸になればみな同じ

蛤に雀のころの舌触り

笊売りの露けき顔が勝手口

牛蒡引き四方の山が暮れぬうち

風邪引くな腹を冷すなはよ寝ろと

これ以上背伸びはできずカシオペア

冬支度借金取りの来ぬうちに

家出してよりの夜空よきりぎりす

諍ひをせしこと悔やみ十三夜




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