物心一如

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われなくて色なき風のかろさかな 玉宗

人間が持つ「物への執着」は相当なものです。
本人が思っている以上に抜き難いものがあります。過剰な物や情報洪水、そして、満たされないこころの空虚。「断捨離」を実践したいというのも、そのような空虚感を清算したいという切実さの表れなのではないでしょうか。それはものとこころのバランスを欠いた如何にも先進国特有の精神的贅沢さでもありましょう。シンプル・イズ・ベストなどというキャッチコピーもありました。ものの豊かさだけでは満たされない人間の心模様なのでしょう。このようなものとこころの鬩ぎ合い葛藤は有史以来のことなのかもしれません。

禅では「物心一如」と言われます。ものを活かすこころ、こころを活かすもの、こころを活かすこころ、ものを活かすもの、そしていずれもその反対の様子があります。ものを殺すこころ、こころを殺すもの、こころを殺すこころ、ものを殺すもの。「もの」と「こころ」の一筋縄ではいかない煩悩の反応があります。煩悩が無量無尽ならば「断捨離」もまた無量無尽です。「道」は無窮です。

「断捨離」もまた執着心の彼岸を指向するものなのでしょう。単にライフスタイルの流行の中に呑み込まれて、新しい「執着」を生まないことを願いたいものです。それはつまり「生」が日々「新」にして「深」なるものであることの反証明でもありましょう。いのちは流行を嫌うものではありませんが、それだけでは行き詰ります。「欲を越える」という普遍に通じる「断捨離」の本質を備えていなければなりません。
〈 法話集『両箇の月』より 〉



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「畳」

女房と十一月の畳かな

霜月や下駄の鼻緒の固きこと

門前に蕎麦喰うて秋惜しみけり

野に食らふげんこつむすび鵙日和

雲水に掃き出されたる枯蟷螂

産土の杜の紅葉や且つ散りて

茶の花や他人行儀な空のいろ

頬を打つ雨の痛さよ実南天

紅葉見て戻れば家の暗きこと

日暮れても晴れても石蕗の花明かり

厠にて鳴かぬ竈馬の恐ろしき



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「手足」

冬支度水に仕へし手なりけり

秋の蝶空の高みへ睦みつつ

身に入みて老いたるわが手わが夢路

萩紅葉ひとひら零れ蝶となる

足向けて眠れぬ方へ神の旅

茶箪笥へ十一月の日差しかな

形見なる手足の荒れも父母の

干柿ほどの情け深きを知らざりき

蛇穴に手も足も出ぬ貌をして

落日は燃ゆるがごとし鵙の贄

石叩き手持ち無沙汰の募りけり

鵯の食み零したる熟柿かな

手すさびに摘みし秋子が手に余り

艶めきて雨に濡れたる照紅葉



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