『俳句大学・今日の一日一句鑑賞・最終回』

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「腸の一句もならず着膨れて 玉宗


一句鑑賞を引き受けて約束の一カ月となった。我儘な鑑賞にお付き合いいただいて恐縮でした。
さて、私事ではあるが、能登半島地震に被災してその復興途上で手を染めたSNS上での俳句更新。毎日十句を自らに課して十年以上が過ぎた。
五年前に『安居抄六千句』なる破天荒な句集を出して、一応の区切りをつけたつもりではあったが、その後も今に至るまでだらだらと俳句を作り続け発表し続けて、句集発行以後に溜まった句数もとうに二万句を越えてしまった。『続・安居抄二万句』を発行したいと公言したのだがこの勢いだと『続・安居抄三万句』になりかねない。そうなるともうほとんど生前遺句集とでも銘を打たないことには示しがつかない。

まあ、それは置いといて、ひと月ほど前にツイッター上でよく知られた俳人から好意ある指摘を戴いて眼から鱗、虚を突かれた思いを経験した。それを言い残して今回の一句鑑賞の責任を逃れたい次第。
その指摘とは以下のようなものであった。

「市堀さんの、唯一にして最大の弱点は語り過ぎるということ」

ここで言う「語り過ぎ」とは一句の本質としての云々ではなく、文字通り「作り過ぎ」という意味である。毎日、十句以上を作るだけではなくSNS上に発表しつづけるという行為が、自殺行為とまでは言わずとも、作者には止められない止まらない阿片中毒並の弱点だと言うのである。
本人である私にしてみれば思い当たる節が大いにあって、虚を突かれたというのには紛れもなかった。今までこんなことを指摘してくれた俳人は一人もいなかった。内心では苦虫を嚙み潰していた俳人もいたであろうが、「弱点」と堂々と言ってのけた、その好意に悪い気はしなかった。

で、ここからは自戒、自省を込めて、そして楽屋裏を頼まれもしないのに暴露するのであるが、私は毎月、二つの結社に無鑑査の七句を載せて貰ってはいるが、この十年以上句会というものを体験していない。それと共に、人様から句集を未だに戴いているのであるが、余程興味を引かれる最初の一句に出会わない限り滅多に全ページに目を通すようなことはしない。結社誌も然りである。

要するに作りっぱなし。語りっぱなし。発表しっぱなし。以前から弁明している「わが俳句は一人遊び」というのには嘘偽りはない。よく言って「季語に代表される世界、自然との同行二人」みたいな有様と言ってよい。
私はなにも俳句大学の皆さんに私の俳句的あり方、生き方を勧めている訳ではない。そこは勘違いされては困る。謂わば、「反面教師」的な俳人とみなしてほしいと言う思いの方が強い。

何故か。
私はお坊さんの世界でも私的なやり方で生きて来たし、俳句界にあってもそうするほかにやり方を模索できなかった。インサイダーでもアウトサイダーでもない「私サイダー」とでもいうんですか。句集も何冊か出しているが、賞などは端から期待してはいないし、「先生」などと呼ばれるに至っては穴があったら入りたい思いに駆られる。

皆さんには「俳句はたのしいですか?」などと一回目に問いかけたわたしではあるが、以上のようなわが俳句にあっての「楽しみ」であることを言いたかったのである。大袈裟に言えば、文学、文芸を「楽しむ覚悟」があるのかどうか。まあ、言わずもがなのことではあるけどね。
人様の句を真面目に?読んで学ぶことを蔑ろにしていい訳がない。表現とは人様の目に晒されてなんぼのものとしての価値や威儀を重ねるものではあろうが、私の様に「作りっぱなし」「語りっぱなし」「発表しっぱなし」では独りよがりの狭い世界に陥る危険性があることを知って頂きたい。「表現」という「主観と客観の橋渡し」には作者の謙虚さが欠かせない。表現欲だけでは足りないのだ。選句眼というか、本物を見分ける眼力を養うのには偶に目を外に向けなければいけないね。これも当たり前のことだけどね。

多作多捨が俳句実作の王道とまでは言わなくても、急がば回れ的な手段であるみたいに言われている俳句の現場でもある。が、それと同時に「腸の一句」を絞る「集中力」や「作り過ぎないことの潔さ」を養うことも重要ではないかと再認識させてくれたツイッター氏の指摘ではあり、私自身も年齢的にも、いつまでも今のまゝでいい訳ないよねと思う今日この頃ではある次第。

最後は自己弁護じみて何の参考にもならなかった感が半端ないけど、みなさんのご健吟とご清寧、そしてコロナの終息を能登の地より願っております。鑑賞させて戴き感謝申し上げます。それでは、さようなら。また会う日まで。合掌。


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「つくづく」

臘八を控へし山の眠りかな

荒海の風に生まれし波の花

能登沖の風を呼ぶかに冬鴎

沖よりの風にひたぶる干し大根

築百年筋金入りの隙間風

しぐれ時雨れて十一月も晦日なる

河豚ばかり釣れてつまらぬ男かな

湯冷めしてここにゐますといふ冥さ

をらざるが如くにをりぬ着膨れて

柚子風呂に浸かりしみじみしてゐたる

風呂吹を喰ふにじわじわしてゐたる

畳替え終へてつくづくしてゐたる

鱈船の纜に積む夜の雪

狼が攫ひに来ると子を寝かす

淋しさを燠にし眠る木菟の夜



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「十二月」

風に鳴る空はうつろに十二月

汝と夢見し千草も枯れてしまひけり

雪吊の尖がる百万石の空

隙間風挙句に眼にはものもらひ

冬菊は淋しやいくつ手折りても

帰り花だれも本気にしてくれず

眼帯の覚束なさや山眠る

南天の実をゆるがして雀翔つ

しやうがない顔して退くやかじけ猫

野ざらしの風吹き抜ける冬田かな

薄墨に火を点じたる冬景色

とめどなく山茶花咲いて散るばかり

命一つの夜のしづけさ葛湯溶く





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