大本山總持寺祖院復興事業完了


能登半島地震から十四年。
今日の地元新聞に「大本山總持寺祖院復興完了」なる記事が載っていた。総工費約四十数億円を掛けての世紀の大事業であった。予期せぬ困難もあったようだが茲に復興を成し遂げられたことを同じく能登半島地震に被災し小規模ながらも再建することができた末寺住職として素直に喜びたい。總持寺だけではなく宗派と全国檀信徒の援助の賜物である。
明けて令和3年(2021)は總持寺開創七百年となる。總持寺は元亨元年(1321年)、能登国鳳至郡櫛比庄(現輪島市門前町)に瑩山禅師によって開創され、ここに曹洞宗門の扉が開いた。
高祖道元禅師の開かれた永平寺と太祖瑩山禅師が開かれた總持寺。永平寺を宗旨の帰趨とすれば、總持寺は宗門の淵源である。その本流の流れを汲む自覚と矜持、そして一人一人のたゆまぬ精進と報恩をわれわれ宗門人は檀信徒と共に行持し続けていかなければならない。總持寺祖院は明治の大火災、本山機能の移転、昭和の戦中戦後、平成の能登半島地震被災、復興。そして令和なる新時代を迎えた。
宗教とは偏に「いのちの話」であり、われわれの日々の生活のよりどころである。宗教意識が変質してきたと指摘されている現代社会。人間の精神的混迷は今に始まったことではない。現実とはいつの世にも人の期待や都合を裏切って立ち現れることが多いものだ。
そしていつの世にも、そのような行き詰まりに当たっては初心に帰る、原点に立ち返るという退歩の学びがあった。われわれの人生とは、諸行無常という現実から多くのことを学ぶ道程でもある。あきらめず、むさぼらず、謙虚に、いつも初心をもって実に当たり、虚に当たり、実相を見極め、ほとけのいのちを相続していかなければならない。開山や祖師方が歩まれた「自己の光明」は今も煌々と照らし続け、その道は脈々と受け継がれているものと信じたい。
来年の四月には復興記念式典等が予定されており、その後總持寺開創七百年慶讃行持が一年を通じて続く。コロナ禍ということで予断を許さないが、僧俗共に全国からの参拝もあることだろう。復興を機縁に更なる精進に邁進し、門前町民と共に仏国土現前ならんことを祈る。合掌。

「間」
着膨れてここにゐますと間の悪き
白鳥を比喩の如くに眩しめり
焚火してゐる場合ではないのだが
鳰潜る鍵を失くせし顔をして
雪しぐれコーヒー一杯分ほどの
笹鳴きや切手を舐めてゐたる間も
年の瀬の駅にさ迷ふ夢を見し
あれこれと妻の言ひなり年用意
叱られてゐる間も息の白きこと
火の用心聞きとどめたる煤湯かな
寒柝の冴えゆく夜の深さあり

「なけなし」
地吹雪の朝市通り風の道
冬籠り濡れ手に粟の夢を見て
路地の雪蹴散らし遊ぶ雀かな
生きものの息潜めてや冬景色
すれ違ふ顔はなけなし十二月
海荒れて洒落にもならぬ能登の冬
鰈干す蜑が庇や靄がかり
たつぷりの雪と大根おろしかな
雨垂れの爆ぜて八手の花しづく
なけなしの懐寒き湯冷めかな
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