思い出から学ぶ 


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てのひらに山河あり雪降り頻る 玉宗

「思い出となればみな美しい」

これは生きている人間のご都合の良さを言っているのでしょうか。思い出を美しいと受け止める人間がいるということではないでしょうか。
無常に棹さし人生を歩んでいる人間の、リアルな、今を限りと力を尽くし、よそ見をせず、いのちまっすぐ、無心に生きている人間の眼差しがあるのではないでしょうか。

「美しい」とは「はかなさ」と同義なのです。もっと言えば「はかなさ」とは「いのちの瑞々しさ」と同義なのです。更に言えば「瑞々しさ」とは「逞しさ」と同義なのです。生きているとはものとは何かを学んでいるということでもあります。「死」から学び、「過去」から学び、「未来」から学び、「諸行無常」から学び、「自己」から学び、「他者」から学び、「今」から学び「思い出」から学ぶ。

親の形見でもある我がてのひらをじっと見つめて、親に恥ずかしくない生き方をしているだろうかと思い出に学んでいる人間がいます。私にとって「他者の死・不在」とは「思い出・面影」として再生するものでもあります。私はそのような繋がり方をして「他者」をわが肉とし、わが血とし、わがこころとして生きていきます。儚い命なるがゆえに救われている私がいます。美しい思い出が生きていく力となります。それはひとえに今を限りと諸行無常を生き抜く私自身の姿勢に掛かっていることは間違いありません。思い出す側の生き方が問われているということです。〈 法話集『両箇の月』より 〉




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「これより」

仮の世の終の棲家に冬籠

能登沖の雲の低さも師走なる

干され干されてぶたれてみたき大根かな

まだ愛の足らぬとばかり隙間風

これよりの能登の荒海波の花

冬空を高舞ふ鳶の影二つ

浦かけて走る白波恵比寿講

おさがりの母の手になるカーデイガン

柚子味噌の手前なれどもおすそ分け

神還る風の咆哮夜もすがら



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「具合」

風を呼び雲呼ぶ冬の木立かな

獣めく山のしづけさ臘八会

大根の力抜けたる干し具合

人気なき寺の寒さを抜けて来し

裃のみな酒臭き恵比須講

裏庭へ廻れば八手花盛り

雪吊の撓むほどなる張り具合

波の花瀕死の波にうち寄する

枯葉吹く風も能登沖よりのもの

棺桶に敷くによかりし枯れ具合

帰り花言葉足らずを悔いにけり

枕辺に引き寄す冬の灯かな



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